『いしぶみ』
広島テレビ放送編
サメマチオ漫画
ボブラ社
\1500+
2025.7.
A5サイズの良質な紙で200頁を超える。ずっしりと重みも感じる。それは、精神的なもののためなのかもしれない。この重みは、多くの中学生たちの命の重さである。
「いしぶみ」とは、広島テレビ放送が1969年と2015年に放送したドキュメンタリー番組の名前である。それが、このたび漫画化された。などと偉そうに言っているが、私は本作品を知らなかった。広島に住んでいないからだ。広島にしか伝わっていないような話なのだろうか。映画化もされている。しかも、是枝裕和監督と、出演が綾瀬はるかというものである。これがいわゆる2015年版というもので、全国でテレビ放送されているというから、私が単に気づかなかった、というだけのことのようである。
ここまでですでに、この物語のテーマは伝わっていたかと思うが、副題のようにして、「原爆が落ちてくるとき、ぼくらは空を見ていた。」という、「そのとき」を象徴する言葉が置かれている。
舞台は、広島県立広島第二中学校。都市からの疎開の生徒もいた。その朝、生徒たちは中島新町の本川土手に集まった。いまはそこに平和記念公園がある、すぐ横のところであった。そこにいた、一年生321名の記録、それが本書である。
漫画仕立てなので読み進むのは早い。しかし、画があるので、心にはグサリグサリと刺さってくる。
空がキラリと光った。皆が空を見上げた。中には、落ちてくるものがはっきりと見えていた生徒もいたという。直径70p、長さ3mの原子爆弾である。それが炸裂したのは、本川土手から北東に500mの上空であったという。
物語は、誰かを特定の主人公にするのではなく、できるかぎり多くの生徒の、一人ひとりに光を当ててゆく。その生徒がどういう被害を受け、どちらに向かって進んだか。調査のために分かった限り、その生徒がどんな体験をしたかを、具に拾う。探しに来たお父さんと出会えた者もいれば、出会えなかった者もいる。出会えても、やがて息を引き取るということとなる。
君が代を歌い、海行波を歌って息絶えた生徒。親の名を呼ぶ声も、体力を失うと諫める声に控えたこと。写真が遺っていれば、その顔写真と共に、その生徒の辿った運命が語られる。
スタイルは、コマ割りも自由な形で惨状が描かれてゆく中で、殆どが「語り」である。
生徒たちを導いて歩いて蓑村先生も、やがて力尽きる。
もちろん、瞬時にして死んだ生徒、姿形の消えた生徒もいたことになる。遺体がただ集められて骨となったものを、どれでも本人と思って持ち帰る親の姿も描かれる。だがまた、調べて情況が分かった生徒については、できるだけここに、少しでも描かれているといえる。一人ひとりに、物語かある。生きた証しがある。
この一年生と四人の先生は、原爆投下から一週間を経ずして、全員が亡くなる。尤も、リメイク版では、実は生き残っていた生徒がいたらしいことにも触れているというが、事実上の全滅と呼ぶことについて、反対する人はいないだろう。
本書は、頁の下のところに、時折用語の解説がしてある。「疎開」という、分からない子もいるであろうような言葉ももちろんであるが、このとき救護所がいくつあったとか、当時スイカは販売用にはつくられていなかったとか、誰も知り得ないような情報も、提供してくれている。
最後に池上彰氏が解説を加えているが、氏は2015年のリメイク版で、ナビゲーターを務めており、制作に関わっていたのである。池上氏らしい、分かりやすい解説がなされ、具体的な平和への訴えが、よく伝わってくる。
なお、題の「いしぶみ」であるが、「碑」の訓読みである。きっと、石に刻まれた文、という思いがこめられているのだと思うが、平和記念公園の本川土手に、この広島二中の碑があるということを、終わりに語っている。1961年に建立されたものだという。すべての語りは、淡々と続く。妙に感情を入れたような演出はない。だからまた、私たちは神妙に、冷静に受け止めることができ、そして、その故に、感情が揺さぶられるのだ。
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が、2024年にノーベル平和賞を受賞した。この漫画が、それを受けて生まれたのかどうかは知らないが、よい働きの一端を担うものとなることができるように、と願っている。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド