『インストール』
綿矢りさ
河出書房新社
\1000+
2001.11.
2001年の第38回文藝賞受賞作。作者は17歳。京都の紫野高等学校在学中であった。ずいぶんと話題になった。私も一度、その頃に本書を読んでいたと思う。
その後、早稲田大学在学中の『蹴りたい背中』が、芥川賞を受賞した。19歳での芥川賞受賞は、いまなお最年少記録を保っている。
女子高校生の野田朝子が、亡くなった祖父からもらった古いパソコンが、起動しなくなった。マンションのゴミ捨て場に持ち運んで思案していたとき、小学生の男の子が通りかかり、そのコンピュータを貰い受ける。
ふとしたことから、同じマンションの女性から下着の山を朝子がもらう。朝子の母親は、不快に思うも、礼儀としてお土産をその女性の家に届けようと出かけると、果たしてあの小学生がいた。彼は名探偵コナンのようにマセた言動をし、朝子にアルバイトを持ちかける。それはコンピュータを使った、ちょっとヤバい仕事だった。
その後、この二人の秘密の活動が始まる。朝子を取り巻く情況、小学生かずよしの置かれた環境など、いまここでは明かさない、特殊な事情が隠れていて、物語を彩る。
実はいま2026年で、近年、綿矢りさの作品にちびちびと触れていた。とてもエロチックな描写もあるし、特に女性同士の性愛のものが幾つもあって、なにもそのシーンだけが良いのではないが、言葉の使い方から物語の展開、とくにその心理描写について、いろいろと感じるところが多かった。それではデビュー作はどうだったか、というと、あいにく思い出せない。それほど以前に読んでいたわけだが、数えると四半世紀前である。それでは仕方がないや、と、綿矢りさ作品を振り返るツアーを自ら始めたのであった。
そのように、気に入った作品に出会うと、その作家の作品を立て続けに読みたくなるのが私の性向だ。寺地はるなや乾ルカなど、幾冊も続けて読み漁ったものだ。村上春樹もそうやって大抵読み尽くすに至った。川上弘美や小川洋子など、何故か女性作家に惹かれることが多いのだが、その意味でも綿矢りさは関心のある一人であるに違いない。だが、いっそのことその執筆順を意識して、いまこうして読み始めるというのはどうだろう。全部とは言わないが、目標とそれに至る道がそこにあるのだ。
しかし、それ以前に、私は三浦綾子の作品を次々と読んでいた。残念ながら全部ではないが、幾つも読んだ。それは、こうして書評めいたものを書く以前のことが多いため、このような感想文を殆ど書いていない。いまからそれはできるのか。また読み返すのか。信仰者としては、こちらを優先するべきかもしれないが、いまの流れでまずは綿矢りさを辿ってゆこう。
最年少といえば、堀田あけみも17歳であったが、2002年を最後に、小説の発表はしていない。研究職に就いたからである。その意味では、綿矢りさは、息の長い作家活動をしており、なお新たな道にも挑みつつ、このデビュー作に漂う青臭さというようなものも、どこかに遺しているようで、私には魅力的である。
高校生が書いたストーリーにしては、本書には、背伸びしたような性的な世界にも触れている。もちろん、そこには生々しさはない。コンピュータを介した性的な事態ではあるが、なかなか思い切った描写があるものだ。近年の艶ある描写の糸口が、実はここからもあったのではないか、というふうにも感じた。
コンピュータの性能的な描写は、さすがにもう古くさくてたまらないのではあるが、よくよく見てみると、四半世紀してスペックや通信速度などがとんでもなく発展したとはいえ、人間がコンピュータ相手にやっていることは、この小説のままに通用するような程度であって、さして進歩しているわけではないことに、気づかされる。なんだ、機械的性能がアップしても、人間そのものは、結局変わってはいないものなのだ。そう思わせたくれたのは、こうして少し以前の小説に触れたからである。やはりそれだけの魅力ある作品だったのである。

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