本

『いのちが喜ぶ生き方』

ホンとの本

『いのちが喜ぶ生き方』
矢作直樹
青春出版社
\1350+
2014.6.

 この本は、偶々見かけた新しい本であるが、どんな人であるのか、どんなことが書かれてあるのか、世の中にどんな考えが広まろうとしているのか、少し知っておきたいと思って開いたみた。
 そう。今、巷で話題である。書店に行くと多く平積みになっているので、それと分かる。  どうかなあなどと思いつつも、尤もらしいその言明に、気にしないではいられない人が多いらしい。
 東大だとか医学部教授だとかいうことは別に考慮に置くことはここではしない。その発言は、霊的な部分が主であろう。スピリチュアルと言ってもよいが、やたら空想話に暴走しないだけ、まだ科学者としての弁えがある。ただ、その科学の部分にもいくらか問題があるように思われる。
 結論的に印象を言えば、きわめて日本人的な、漠然とした霊的な理解をお持ちであり、さしたる根拠や選択的確信もなしに、情緒的感覚的に、生まれ育った風土における死生観や霊にまつわる感情を、思いつくままに述べている、というふうに見える。そしてそのことを、医学的あるいは科学的な用語を時折混ぜることにより、真理であるかのように告げているところは、別の意味で問題であるように感じられる。
 ただし、幸福の科学のように、荒唐無稽な空想話で読者を引っ張ろうという意図はあまり感じられない。皆さん日本人ならば素朴にこのように感じているでしょう? とでもいうように、誘っているようだ。
 神道についてかなり惹かれる部分があるようだ。しかしまた、仏教の言葉を交えて、権威を背景にしようとしているような場合も多々ある。これらの心理は、いろいろな思想や宗教の、おいしいところだけをうまく引用して、すべての宗教の良いところをちりばめ、また利用し、自分は正統的だという纏い方をしようとするものであろう。ありがちな発想であるが、これはうまく人を説得するのに適切な方法でもある。
 宗教というものについて客観的な学びをしない教育風土の日本において、あらゆる宗教は同じところに辿り着くというような、素朴な考え方が最も平和であると見なすのも、いかにもありがちな感情である。そうあってほしい、という願望のなすものでもあろう。そして、一神教と名のつくものは戦争を好むからだめだ、と一蹴はするが、その内実や理由などについて論ずることは全くない。これもまた、宗教一般について知識のない人の、ありがちな印象的感想である。
 こうして、漠然と感じている読者の心をうまくくすぐり、あなたのそのなんとなく感じている宗教観は正しいのですよ、科学を究めた私が同じことを考えていますよ、と慰めるものだから、本としてはよく売れるということになる。これが、売らんかなの方法であるならば、まだ目的故の仕業ということになるが、おそらくは確信犯的に、信じているのであろう。
 最初のほうでは、医学を否定する考え方への批判があり、しかもそれが非常に温和に優しく語られているので、人格的にこの人はいい人だと思わせる効果ももたらしている。言っていることがそのまま悪いことなのではない。だが、次第に、怪しくなってくる。次第に、根拠のない発想で、いつの間にか霊的に感じるこの人の言うことがすべて正しいと思わせるような仕掛けになっているように見える。教養がそれなりにあり、多くのことば、ときにかなり難しい言葉を駆使して理由付けを行っているかのように見えるから、特に宗教について知識のあまりない人であれば、スッと流れ込んでいく危険性がある。どうにも危ないというのが私の感想である。著者の本が非常に増えてきている。そして書店も、売れるから表に出していく。しかし、パウロが生きていてこれを読んだら、たぶん悪霊の仕業だと断じたであろう。言い過ぎかもしれないが、やはり気をつけたほうがよい。




Takapan
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