本

『いのちへのまなざし』

ホンとの本

『いのちへのまなざし』
日本カトリック司教団
カトリック中央協議会
\500+
2017.3.

 2001年のものへの増補新版だという。但し、第二章以降を全面的に書き改めたのだという。時代に合わせてということらしい。
 カトリックの中枢部が提示する教科書のようなものであるから、とてもきれいなことが書かれている。教皇その人の言葉ではないが、カトリック組織の中心部の思想が十分現れているとしてよいだろう。
 タイトルのとおり、いのちが主役だが、いのちへのまなざしというのは、誰のだろう。私たちのかしら、と思うことがあるかもしれないが、前書きの最初で「神のまなざし」であることが明らかにされている。ただ、それがわたしたち一人ひとりのまなざしとなることが理想であるということも伝わってくる。
 まずはひとのいのちについて。誕生から死へ向かう一生の中で節目があり、ひととしての義務というのか課題というのか、いくつかのポイントがある。その一つひとつについて、柔らかな言葉で思いが綴られている。文章は巧みだし、心が洗われていくようでもある。逆に言えば通り一遍で、きれいごとすぎるような気がしないでもないが、見える世界の中にもこういう教えがあることは、決して悪いことではない。この第二章から、十余年経ってから大きく改訂されているとのこと。時代や環境に合わせて、気づかされるところ、強調を変えねばならぬところ、またもしかするとかつてと同じままだとまずいものがあったのかもしれない。
 科学の発展はいのちについて、生命操作という点での大きな進展に否応なく注目させることとなる。いわゆる生命倫理の問題である。胚の操作からホスピス、脳死、自死や死刑制度の問題なとが挙げられる。カトリックとしての立場からのものの言い方もある。だが、原子力発電や格差と貧困の問題など、これまでの教義で対処できないか、しづらいような問題も目白押しである。差別は時折話題になるが、常に根底に課題としてあり続ける問題であるような気かす。ちょうど最近新聞が力を入れて取材していたのでタイムリーでもあった。戦争はまさにいま世界の大きな関心である。こうした社会問題に、キリスト教が先頭に立ってオピニオンを挙げるというのは、大切なことだと思う。カトリックは教皇や組織においてプロテスタントとは意識が違うといえようが、誤りを恐れずに提言していってもらえないだろうかと個人的には願っている。
 過去の教会の過ちについて詫びるような場面も、あるにはあった。だが、まだ反省が足りないようにも見えた。少なくとも、悔い改めというものにまで低くなってはいないと思う。あくまでも世界をリードしていくという矜持がそこに交じるのかもしれないが、キリスト教は散々間違いを犯してきたし、世界にとんでもない悪をばらまいた前歴がある。それを放置しておいて、聖書に書いてあるからだとか、教会が率先してやりますとか、そんなことを言っている場合ではない。カトリックの本部の、いわば公的メッセージであるから、できないのかもしれないが、もっと真摯な悔い改めが望めなかっただろうかと残念である。美しい教えはここにあるが、いったい誰がそんなことが言えるのだろうか、と思う場面もあった。それを求める場面ではないかもしれないが、やはり、教会はリードする責任があるにしても、徹底的に悔い改めることをしないでは、上よりの力は与えられないのではないか、と強く思うのであった。




Takapan
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