本

『祈りへの道』

ホンとの本

『祈りへの道』
加藤常昭
教文館
\2100
2013.10.

 敬愛する加藤常昭先生の本である。かつて出されていたものが新装されたらしい。それに今の思いをあとがきとして載せて、今また新たに読者に問いかけている。それだけの価値ある本である。まことに、祈りに目覚めさせられる。
 スポルジョンの祈りについての本も、実に有意義だった。魂に問いかけられるその熱意が、信仰を呼び起こすために力になったのは確かである。同時にこの『祈りへの道』を読んでいた。これだけ迫られれば、もう祈らざるをえない状況になってくる。
 教会に来ていても、祈りと言うと、礼拝のときに声を出す「あれ」だというイメージを抱くことだろう。非常に雄弁な祈りというのを聞くと、自分の祈りはなんと短く、力のないものか、というふうに心が沈んでしまうかもしれない。それももちろん祈りである。だが、それがすべてではない。当たり前のことなのだが、案外そのようには受け止められていない。そればかりか、時に牧師自身、何時間祈っていますか、などと問うような場合もあり、信徒は凹まざるを得ないのである。
 祈りは時間ではかられない。だがまた、時間なしというのもおかしい。いや、そもそも「祈り」とはなんだろうか。それは人それぞれの感覚があるだろう。教会の礼拝でのあの祈りは、時に「公祷」と呼ばれる。公の場での一種の儀式である。それが祈りのすべてではない。神との対話であるとか、神を賛美することであるとか、また信徒が共に心を合わせることであるとか、祈りそのものについても様々な状況に応じて形や捉え方も変わるだろう。これこそが祈りだという決まったものはない。感謝することだ、などと言うケースもあるが、必ずしもそうではない。神に向けてぶつける叫びもまた、祈りと言えば祈りである。
 ただ、自分の願い、というとまだ言葉はきれいだが、要するに自分の欲望を叶えるための要望が祈りなのだというふうに、世間でありがちな理解をしていたとすると、具合が悪いだろう。しかし、それさえも、そう祈ってはならない、などという決まりはないのだ。
 でも、そうした祈りは何のためにするのか、どんなことを神は教えているのか、どんな恵みが待ち受けているのか、そんな「祈り」についての様々な側面や、祈ることの素晴らしさという点、さらにいえばそうした祈りを与えてくださる神の素晴らしさ、そうした点への広い信仰の知恵もまた、私たは体験することができるはずである。
 それを、この本は伝えてくれる。そうした祈りの世界にどっぷりと浸からせてくれる。祈りについてある角度から切り込んで、全部て28章が与えられている。私は、これを早読みでどんどん読むのはもったいないと思った。一日1章でよいと思う。毎晩あるいは毎朝でもよいのだが、1章ずつ味わって読むとよいと思った。私はそのようにして読んできた。しかし、可能ならば、毎月これを繰り返していきたいものだ、とも思った。旧約聖書の箴言が31章あるので、そのような読み方をしている人もいるというが、この本もまた、そうう効用はあるだろう。自分を顧み、神へ思いを向けるために、有意義なデボーションの機会を備えてくれるだろう。その意味で、たしかに霊的な本なのである。そして、そのための根拠や背景を十分に踏まえさせてくれる、知恵ある本なのである。




Takapan
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