本

『イミタチオ・クリスティ』

ホンとの本

『イミタチオ・クリスティ』
トマス・ア・ケンピス
呉茂一・永野藤男訳
講談社学術文庫2596
\1230+
2019.12.

 いわゆる「キリストにならいて」である。ラテン語のままをタイトルにしたことで、学術文庫として出版している気概を示したのだろうか。信仰の書として出したというよりも、歴史的に価値ある本を相応しい仕方で提供しているということなのかもしれない。これは、世界の本の歴史を見ると、聖書に次いで多く発行され読まれている。今出回っている日本語訳だけを見ても、片手では済まないほどの種類がある。すでに桃山時代から訳が出されていたというから、そうしたものを含めると数知れないというところであろう。いったい、それほど敬虔なキリスト教徒がこの国に多いのかどうか。だが、カトリックでは推奨されているのかもしれないし、それに見合う内容であることは間違いない。
 作者のトマス・ア・ケンピス自身も謎であるらしい。もともとフローテという人が書いたオランダ語のものをトマス・ア・ケンピスがラテン語に訳して広まったのではないかという説もあるという。しかし、その場合も編集作業を伴っているようなので、トマス・ア・ケンピス作ということにしても差し支えないだろうという見解がここには述べられていた。ただ、ラテン語と一言で言っても、様々なバージョンがあるらしい。写本だけでも300を下らず、印刷されたものだと何千種類もあるのだそうだ。いったいドレを原典として扱って訳出すればよいのか戸惑うほどであるという。このあたりの事情も、聖書に似ているのかもしれない。
 以前読んだ小冊子の訳よりこの訳は新しい感覚がした。非常に読みやすい。ひっかかることなく流れるように読めたと思う。カトリックはこれを一つの基盤として、黙想や霊操といったものが多数著されたが、それらの原点としての価値はいまなお衰えることはないであろう。最初の項目が、「キリストにならい、世の空しいものをすべて軽んずべきこと」で始まっているあたりから、相応しいタイトルで呼ばれるようになっているのだろうが、まことにその通りである。修道生活がどうしても連想されてしまうが、私の感覚では、必ずしも修道院だけのものではないだろうと思う。
 しかし、徳の極致をよくぞこれだけ次々と並べて分厚い読み物が編まれたものだと感動すら覚える。私たちの日常がいかに汚れきっており、また自分に甘いものであるか、思い知らされる。もちろん、15世紀初め、宗教改革以前のものであり、自分を痛めつけ修行をするようにして救いへと至るという考えが色濃い部分もある。だが、それを絶対の基準にするのでないことにするならば、これを安易に看過してよいものだろうかとは思う。余りにもこれを蔑ろにし、自分の心に問いかけ自分を律することから遠ざかった末に、世俗である中でキリストにあって生きるというようなものではなく、すっかり世俗に染まったものになってしまったのではないかと危惧されるのである。特にプロテスタント教会では、このような本が全く知られていないというケースもある。露骨に軽蔑するような扱いをする人もいるかもしれない。しかし、味わうべきだと私は考える。この通りにやれというものではない。私もそんなことはできないし、するものではないと思う。だが、できっこないからこれは意味がない、と無視するような代物ではないのではないか。ここではキリストがこのように語ったというような書き方をしているところも多々ある。それをそのまま信じる必要はない。しかし、同じように聖書に触れた敬虔な魂が、よく想像をして、キリストに従いたいと願い綴ったものであるとするならば、襟を正されるものがそこにはあるのではないか。祈りがともすればただの願いとなって自分の要求ばかり神にぶつけるというだけで終わることもあるとするなら、静かに黙想するというひとときは、生活の中に、また随所で、欠くことができないのではないか。そんな問いかけをしてみたい。
 最後の聖体拝領ばかりは、プロテスタント教会では全く同じようには考えにくいところが続くかもしれないが、それでも読むことが無駄だとは思えない。一度に読み急がず、毎日少しずつ、1頁ない場合もあるような1章ずつを、朝読むというのは如何だろう。
 本書は1975年刊行のものを適宜手を加えて文庫化したものである。監修ではないが校訂する形で丁寧に仕上げた呉茂一氏は、その2年後に80歳を迎えて間もなく他界している。呉氏のことは、ラテン語の学習書で存じ上げていた。ギリシア文学においても業績が多い。文学という領域で本書に出会ったばかりでなく、何かしら特別な意味をもってこの訳を手がけ、実際亡くなられた伴侶を思いつつ仕上げた訳であったであろうことを、田中美知太郎氏が弔辞で述べている。葬儀は、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われている。




Takapan
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