本

『いま哲学とはなにか』

ホンとの本

『いま哲学とはなにか』
岩田靖夫
岩波新書1137
\735
2008.6

 昔風の問いかけが、古くて役に立たないとは限らない。古くて新しい問いというのもあるだろう。哲学の世界でも、その時代時代の流行りというものがあるだろうが、それはえてして古い陳腐なものに将来なっていく傾向にあるともいえる。
 そこで、というわけではないだろうが、著者は、「いま」哲学とは何かを、かつての哲学の風が吹いていた時代の薫りをよみがえらせようとしてなのかどうなのか分からないが、再び問いかけようとしている。
 取り上げるのは、ソクラテスである。「善く生きる」ことだという学びは、かつての哲学徒は痛いほど聞かされてきた。もはやそんな素朴な問いでは現代社会は処理できないというのが今の大勢でもあるかもしれない。
 しかし、やっぱりそこしかないのではないか、と著者は挑戦する。
 通史的な哲学の振り返りというわけでもない。アリストテレスが、プラトンとの絡みもありつつ取り上げられていくのは、そこに、プラトンよりもより現実的な、社会形成の哲学が含まれていたからではないかと思われる。個人の徳を第一としたソクラテスに加えて、ポリスの社会が善であるためにはどうすればよいか探求し理論を構築したアリストテレスは、現代にもつながるものがあると見たのだろう。
 それは、「他者」というものをどう捉えるか、にもよるのであった。
 この本のクライマックスは、この他者をどう捉えていくかというあたりにあるように見える。それは、神的存在を前提とするような趣もあるが、他者の絶対的な自由を尊重するところで求められる他者との関係において、自らが僕となるような姿勢が描かれるとき、そしてそうした説明が施されるとき、しばしば聖書が引用されることに、読者は必ず気がつくであろう。
 著者はクリスチャンではないかと思われるのも当然である。事実そうであるという情報もあるが、私は定かには知らない。しかし、クリスチャンがこのような内容の本を書いていくときには多分このように書くことがありうる、と思われるようなことは、読んでいて度々あるものである。
 その他者との関係を延長させていくと、当然戦争や平和といった問題との関わりが求められる。ロールズの正義論の生い立ちを示した上で、それにとどまらないイエスの「教え」が響いて幕を閉じるような仕組みになっているように、私は感じた。
 明確な方向性をもつ著者により、哲学あるいは倫理学の基本的な枠組みが提供される。その意味でも、読むことに意義のある一冊ではないかと思われる。




Takapan
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