本

『いま世界の哲学者が考えていること』

ホンとの本

『いま世界の哲学者が考えていること』
岡本裕一朗
ダイヤモンド社
\1600+
2016.9.

 実業書の出版社から出ているからには、売り方に意図があるということになる。ビジネスパーソンに手にしてもらわねばならない。そこで、サブタイトル的な位置に、「人工知能、遺伝子工学、格差社会、テロの脅威、フィンテック、宗教対立、環境破壊……」と並んでいるのがそれだ。ニュースなどで聞く言葉、それを「哲学」というひとつのブランドテクニックでは、どのように深めるのだろうか。そこらのチャラい奴の印象論とは違う、深いものをちょっと養ってみるか、と手を伸ばすことが期待されているのであろう。
 などと意地悪く迫る必要はないだろう。著者は、手加減をしてはいるものの、本気の哲学者である。いや、大学教授ということにしておこうか。現代哲学をフィールドとして論ずる方であるから、多岐にわたる今ホットな哲学者たちの紹介については十分信頼が置ける。また、その期待を裏切らない。
 若干、肩入れをしている考えがあるようには感じることがあるが、概ね公平な眼差しで見つめ、紹介しているのではないかと思う。確かに、ビジネス方面のひとにも役立つであろう。いや、本当に役立つだろうか。最初こそ、日本人の抱く哲学という言葉のイメージを送り出して改めるところから入り、哲学者や哲学説の研究と哲学とは違うんだという、大学の教養的な講座の最初のようなことから説く故に、読みやすいぞと思わせておいて、すぐにカントやヘーゲルの名前が出てくると、素人には厳しいのではないかと心配する。ポストモダンがさも当たり前のような顔で登場すると、これは待てよ、という気持ちになってくる。
 しかし救いはある。各頁の下のところには欄外注とでも言うのか、簡単ではあるものの、用語の解説がちりばめられているのだ。ただあまりに簡潔すぎて、事情に通じている人には確認できるだろうが、全く知識のない人にとっては、用語解説そのものにめげてしまうかもしれないと、これまた心配してしまう。
 ただ、用語の一つひとつにこだわることをやめてしまえば、筆者の語り口調は優しいし、話の大きな流れは十分掴みやすいと思う。その意味では、確かにビジネスパーソンにも響くものがあるだろう。狙いは悪くないと思う。
 しかし、哲学がどこに向かうのか、という辺りから入ると、少し退屈かもしれない。メディア論が次に出てくるが、「転回」ということに、どれほど人が関心をもてるのかどうか。新実在論という、「いまのひとつの華にも章が割いてあるが、どうなのか。
 などとまた意地悪く言うのはやめよう。この後、ITという革命という、いま関心を集める事柄について少し長く取り扱うので、新聞報道程度では気づくことのなさそうな論点や観点がいろいろ紹介されるわけで、ここだけでもまた読んで得をしたという人が現れるかもしれない。
 その意味では、次のバイオテクノロジーについての問題点の指摘も、同様である。ただ、そのことについては、生物学的なアプローチや、免疫や細胞についての基礎研究が、ものの考え方を大きく変えているのが昨今である。哲学という分野からのアプローチと決めているので仕方がないが、思弁的なものばかりでなく、そちらへの案内もあれば親切というものだろう。
 実は各章の最後に、ブックガイドが載せられている。深めたい人のためのものだが、実はかなりここに、邦訳のないものが混じるのが気になる。それを読みたいと思うのは、プロの哲学研究者のほかに、どのくらいいるのだろうか。それとも、さすがビジネスの世界だから、英語くらいは当たり前に読めるということなのだろうか。読んだところで、思想書であれば、本書を日本語で読むのとは比較にならないくらいの知識や背景理解が必要ではないだろうか。これは、むしろ哲学専攻の学生のためのものではないだろうか、というふうに思えてくる。
 続いて、資本主義、宗教、そして環境問題へと進んでいく。表紙の約束は果たしたと言えるだろう。まさに現在進行形の領域で、オピニオンリーダーとなっている人を積極的に紹介していくのは、私にとっても知らないことが多く、刺激になった。それらの人がどういう考えを持っていて、誰にどのように反対して思想を打ち立てているのか、ということなど、明晰に示してくれるのは、本当に助かる。
 こうした哲学は、役に立たないと思われるかもしれないが、私たちに必要だということについては自信をもってお伝えしたい旨、筆者は最後に触れている。その通りだと思う。本書の目的としてはそれで十分である。それでも敢えて言う。現在このような問題がある。これから考えていかなければならないであろう。その通りなのだ。しかし、それであなたはどうするの、という視点はなかなか得られない師、それを問う場面はついになかったような気がする。そこが哲学と宗教あるいは倫理との違いかもしれない。もう一度根本から捉え直す時期に来ているのではないか。その通りだ。それであなたは実際どうするのか、どう生きるのか。そこに問いかける何かが欲しかったと思っている。無い物ねだりだとは思うが、もしかすると筆者本人にも、その意識が欠けていたのだとしたら、公平に客観的に記したというのは、公平にしか書けなかったということの言い訳となりかねない。
 いや、内容はとても勉強になったので、こんなことを言うのは筋違いとは分かっているのだが。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります