本

『いまを生きるための教室 美への渇き』

ホンとの本

『いまを生きるための教室 美への渇き』
大橋良介・ウィリアム=カリー・小林昭七・宋茂・多田富雄・吉本隆明
角川文庫
\552+
2012.5.

 中学生を対象として編まれた企画のひとつのようである。「いまを生きるための教室」という題で、三種類の同様の本が角川文庫から出ているが、その第二弾がこれである。
 タイトルは「美」であるが、美学が主題というわけではない。主眼は「教室」にあり、学習をする意味はどこにあるか、を若い世代に指針として示す役割を果たしたいものと思われる。1日1教科、1週間で読み終えられるようにセットしてあり、国語・体育・理科・道徳・数学・英語・社会という区分けの中で、それぞれの著者の得意分野で語りかけが続けられる。
 この中で美学を専門とするのは大橋良介くらいのものであり、「美」そのものに迫るものは道徳を担当したこの人だけであると言ってよい。それも、お得意のカントの判断力批判を踏襲する形で述べているので、果たして今どきの中学生にどこまで通じるかも分からないし、また美学をカントで片付けてよかったのかどうかも疑問に残る。
 しかし、これらのいわば特別授業は、生徒たちにとり、世界のすべてとなるわけではない。きっかけとなればよいのである。マラソンランナーとしていまの中学生は知らないであろう宋茂なども、よく読めばなかなかの人生論になっており、劣等感や不安を有用なものに転じていくきっかけになるならば、心強く思えるものであろう。理科では星への憧れが、「死」の意識から始まるというあたり、もしかすると中学生くらいになれば、共感できる子も多いのではないかと推測したい。私はこれを小学校の初めの頃に味わった。大きなスケールでそれを人生論につないでいくというのは、私は個人的に拍手を以て贈りたい作品だと捉えている。決して理科の話がここに展開するのではないのだ。
 そこへいくと、数学はけっこう数学に立ち入った述べ方がなされている。具体的に問題を取り上げていくのだが、中学の数学そのものではないものがいくつもあるけれども、なかなかいいところを突いた企画ではないだろうかと思う。私も数学を教える身分として、これらのどれも、ネタとなりうるものであるが、中学生はそれなりに良く聞いてくれるものである。ギリシアの作図問題などは、学校では習わない話題であるが、数学のものの本には必ずと言っていいほど触れられる話題である。数学に苦手意識をもっている人がどこまでついてきてくれるか、愉しみではある。
 英語は、イエズス会司祭で日本での教育において活躍され、叙勲も受けている方による、外国語を学ぶ意義についての話であった。これは英文も併記されており、中学生には全部はきついかもしれないが、比較的分かりやすい英語で書かれているので、中には英語で読むことに挑戦する読者がいてもよいと思う。原文でしか伝えられないものが必ずある。外国語を学んでそれが分かるというものではないけれども、少なくともその文化の城に入るたろの扉を開ける鍵を得ることはできる。入ってしまえば、後はそれからのお楽しみというわけだ。
 社会は吉本隆明であり、かなり大胆だった。国家についての議論をスタートとして、この社会がどうあるべきか、思い切った意見がぶつけられていた。あまりに純粋な中学生が、そのままに受け止めてしまったら、少し過激に走るのではないかという心配もあるが、社会とか国家とか、なんとなく勉強の中で使っている言葉の意味や概念を、改めて問い直すという試みが大切なのだ、というように捉えるならば、骨の折れる読み方となるではあろうが、頼もしく思えるものである。
 こういうわけで、中学生がよい刺激を受けるならばそれもよいのだが、私の目から見ると、高校生くらいだと十分読めるのだろうという感じに見えた。中学生のうちだと、さあ、半分くらいの生徒が理解できたらよしとすべきくらいではないだろうか。もっと少ないかもしれない。
 本書は単行本としては、文庫発行に十年先立って刊行されたのだという。かなり売れた本であるらしい。案外、中学生くらいの子が読むに相応しい本というのが、少ないものだ。少し壁は高いかもしれないが、本書はいまも問いかけるものが、確かにあるだろうと思う。そしていつも言うことだが、大人がこれを読んでも全然差し支えないし、むしろ読まれたらよいだろうと思う。但し、これで何か気がついて、人生をやり直すということについては、できない部分も多々あるだろうとは思われるのであるが。




Takapan
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