本

『いまを生きるための教室 今ここにいるということ』

ホンとの本

『いまを生きるための教室 今ここにいるということ』
秋山仁・板倉聖宣・大澤真幸・大林宣彦・荻野アンナ・佐藤亜紀・林敏之
角川文庫
\590+
2012.7.

 中学生を対象として編まれた企画のひとつ。教科書シリーズとして三巻まであるが、その第三弾、最終巻である。2001年にすでに単行本化されていたものを再編集したものだというが、大きな改変がなされてはいないことかと思う。元は「中学生の教科書」という冠が付けられていたという。
 しかし、中学生だけにしておくのはもったいない。今ここにある自分の存在に意味を見出したいことは、大人も中学生も同じであろう。もちろん、中学生はその経験においてまだ浅い。その初めてかもしれない事態の中に投げかける言葉として、人生の先輩たちが声をかけるのであるから、言葉も選んでいるし、内容も寝られている。しかし、その先輩たちの一部をなすはずの私たち大人もまた、決して課題を究めているわけでもないし、恐らくは執筆者たちもまた、必ずしも人生を分かってしまったわけではないだろう。共に考え、共に意を交わすこと。実はそこのところが、まさに私たちの「今ここにいるということ」にほかならないのである。
 ということで、まるで書評が終わってしまったかのようであるが、もう少しだけ中身に目を注ぎたい。冒頭の国語・佐藤さんは、過激である。これを面白いと思う中学生がいたら、なかなか「ひねた」ものだろう。素直な子は、もう少し本書のいろいろな波風に慣れてから、読んだほうがよいかもしれない。
 体育の林さんは、ラグビー選手である。これは読みやすい。とくに運動部にいる生徒は、ここから読むことをお勧めする。これは元気が出る。
 数学の秋山んさは、テレビなどでも以前よく面白い数学を説明してくれていたが、風貌も話もそうとうにアウトローである。しかし、言っていることはとてもまともで、傾聴に値するものばかりだ。数学が得意な生徒はもちろん捨て置かないだろうが、苦手な人も、数学が受験や人生に必要だということは分かっているだろうから、決して数学の解き方を教えようとするものではなくて、数学がどんな可能性をもち、どんなふうに人と関わっていくのかを熱く語る文章は、何かしら心に響くのではないだろうか。
 芸術の大林さんは、平和に対する熱い思いがある。もちろん映画監督としても一流であり、名作をたくさん世に送っているが、中学生たちに未来を託す絶唱のようなその願いを、きっと読者は感じとることだろうと思う。人生のためにも、ぜひお読み戴きたい。
 理科の板倉さんは、自然科学というものを漠然と「真理」だと思うであろう大多数の中学生に対して、それが特別なものの見方であること、そして実は私たちがきちんと考えていくことの中に具わっているはずのことなど、目を開かせてくれるのではないだろうか。特に、その「気化熱」についての教科書のウソを丁寧に解いているところは、説得力がある。
 荻野さんは外国語ということだが、フランス人である父親との関わりが実に楽しい。破天荒な人生の中での外国語の位置付けは、文法がどうのなどということではなく、人と人とがぶつかるコミュニケーションの媒体であることをしみじみと教えてくれる。だから英語がうまくなるための秘訣を期待すると少し違うだろう。むしろ、父娘の心の交流を味わう、これはこれでひとつの文学作品のようだった。
 最後の社会の大澤さんは、辛辣だった。キリスト教にも造詣が深い著者は、神学の視点もそこそこ弁えている。クリスチャンではない分、冷静に捉えているとも言えるが、文章はとにかく巧い。テーマは、自由と責任。中学生でこの文章が頭に入っていくとすれば、なかなかの読書家であるか、哲学的な素養がある人かもしれない。一読して中学生にどうかと思われるが、実によいことを伝えようとしている。むしろ大人がチャレンジしてほしい。大人にしても、物事の根底を考えようとする訓練をしていない人には、容易には読みこなせない可能性がある。執筆時に世間をいまだ震撼させ続けていた、酒鬼薔薇事件が大きな影響を与えてこの文章が生まれたことは想像に難くないが、最後に「赦し」というテーマにまで迫る。もちろんそれは、キリストによるものではない。しかし、そこにこそ責任という考え方が生きていると言えるのであり、自由というものがあるのだと導いていく。「寄生獣」も持ち出しながら、信じられないような赦しのエピソードで、話を終えるのだが、私はやはり最後のところの赦しの例は、キリスト教なしには語れないような気がしてならない。この感動は、直にお読みくだされば幸いである。




Takapan
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