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『いまを生きるための教室 死を想え』

ホンとの本

『いまを生きるための教室 死を想え』
池田晶子・宇野功芳・島田雅彦・布施英利・野崎昭弘・宮城まり子・養老孟司/角川文庫/\552+/2012.4.

 中学生を対象として編まれた企画のひとつ。教科書シリーズとして三巻まであるが、その第一弾。タイトルには、聞き捨てならない「死を想え」とあり、それなりのものも含まれているが、必ずしも全編その色に染まっているというふうには考えずに手に取ったらよいのではないかと思う。
 執筆者は、挙げた七名で、一日ひとつ読めば一週間で読み終えるという試みである。言葉と外国語を話題にするものから、美術を志すならば、自然にしろ作品にしろ本物に触れようという提言、それから数学に浸る話と、音楽教育のちょっと自由すぎる話、現象を疑いとことん考えることにある理科の醍醐味、それが宮城まり子さんが生い立ちを含みつつ、人との出会いをしみじみ語るものがある。
 そして最後に、道半ばで倒れた哲学者の池田晶子氏が、哲学的問いとともに、人の生死の問題から、命の存在を宇宙規模から捉えようとする思索と、最後に、どうして人を殺してはいけないか、という切実な問いについて善悪とは何かを問うていた。本書が元々単行本として発行されたのが1999年であることを考えると、1997年の酒鬼薔薇事件が重いテーマとなって響いていることも当然であろう。そして、どうして人を殺してはいけないか、という問いかけについては、当時もいまも、大人は適切な解答を出すことができないでいるように思われる。これはまさに哲学的な問いなのである。つまり答えが数学のように鮮やかに解明される問題ではないのである。そこで池田晶子氏も、うまい解答がないこと、法律によるのだという一つの限定した解答を示すのだろうかということなどを述べた後、実はこの問いの背後には「悪」とは何かという問いが、より根底的にあるのだというところへ目を向けさせる。そしてその「悪」なり「善」なりが、「自分にとって」のものであることを告げ、その自分とは何か、それを問うて哲学したまえ、というように未来へ問いを開いていく形で本書が終わることになる。
 宮城まり子氏の文章は、これと比べると、ちっとも理路整然としていない。哲学者ではない。だが、苦労して、障害をもつ子どもたちの教育のために半生を献げた人の言葉は、ただの言葉ではない。生きるために命を売るようなことまでしていた人のことを紹介するとき、何も非難めいたことは言わない。善悪でひとを量ろうとしないのだ。ただ、叫ぶ。「死んじゃいけない」と。その言葉が重くのしかかる。なんと厳しい、そして優しい言葉なのだろう、と感動する。いつまでもリフレインされるようだ。
 いろいろな人の文章が載せられている。内容も、もちろんその道のプロや得意分野から特別授業がなされているようなものであり、なかなか知ることのできないことを教えてくれ、また考えづらいことを考えさせてくれる。その意味では、大人が読んでも全く困らないし、決して生やさしいなどということもない。そして特別講師として七人が招かれているからには、気が合うタイプの人と、何か噛み合わないタイプの人とがあるだろう。内容にしても、感動的なものもあれば、だからどうした、と言いたくなるかもしれない人もいるだろう。その雑多な特別授業の中から、何かしら少しでも得ることができたらいいし、刺激を受けたならば、素晴らしいのではないか。手にとって損はない。
 必ずしも「死を想え」で統一されているわけではないが、必ずしもその後の時を経ても、古くさくなっているようには想えない。かつてよく読まれたそうだが、いまにして再び、文庫という形で手にとってみてはどうだろう。そして私のように、いま初めて読むという者もまた、たくさん現れることだろう。




Takapan
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