本

『生きるための死に方』

ホンとの本

『生きるための死に方』
マーティン・シェパード
森英明・訳
新潮社
\1680
2004.6

 著者は精神科医である。最初は、「死は避けることのできる災厄である」とする見方から医者になったという。だが、しだいに考えが変わった。この本では、「最後の出来ごとがくり広げられる際に健康な人、病気の人いずれにとっても有益なことがわかっている行動と原理を語ろうとしてきた」。
 著者はまた、小説家でもあるる死に際した人への直接のインタビューを多く経て、実地に集めた資料を自分の著作の糧ともする。この本は、まさにそのようにしてできた本である。そして、対象を一般化することには関心がなく、むしろ個別のユニークなものとして捉えたいように見える。小説とはそういうものである。「死」もまた、まさにそれであるべき事柄である。
 この本の特徴はまた、「死」に対する多くの人の言葉を断片的に紹介していることだ。随所に鏤めてあるそれらの明言は、ときに一見普遍化するかのような言葉に聞こえることがあるが、その実、きわめてユニークなものでしかない「死」の実態を明らかにするだけである。
 読んでいるうちに、気が塞いでしまうような思いがする。誰もが避けて通りたい、忘れていたいと考えて日々過ごしている「死」という終末。それを、単純に信仰で片づければよいというものでもないし、また信仰が無意味だなどとするものでもない。一人一人臨み方が異なるのは、一人一人の人生が異なるのと同様である。
「結局のところ、人の死はそれぞれユニークなものであり、各人が各人独自の形で解明すべきものであることはいうまでもない。……しかし、死に行く人の心の痛手は、率直なコミュニケーションによって、また、あとに残される者、死に行く者両者の要求をよりよく理解することによって、相当程度に軽減することができるものだというのが私の信念である。」
 この問題に関しては、もはや古典と呼ぶに値する『死ぬ瞬間』(エリザベス・キューブラー・ロス)という本がある。本書も、この本に触れているが、一般化するよりも個別のままでそこに置くという意味で、本書の、それこそユニークさがあるものと考えることができよう。
 何人もの実例を章毎に連ねながら、この本はオムニバスの小説を見せるように、読者に語りかける。ただ、それは空想の話ではない。読者もまた、必ず迎えるある「時」に関しているのだ。たぶん宗教はこういう原点から体験されていくはずであるし、ハイデガーではないが、この「時」から己を捉える「死への存在」としての実存を、己の姿として捉えることから始まるものであろう。
 とくに、ただの自我としてだけでなく、周囲の人々との関係の中で捉える現実の「死」についてのレポートは、大いなる発見となることと思う。




Takapan
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