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『生きるとは、自分の物語をつくること』

ホンとの本

『生きるとは、自分の物語をつくること』
小川洋子・河合隼雄
新潮文庫
\460+
2011.3.

 タイトルで十分だった。私の関心と、目指すひとつのものがそこに現れていた。その意味では、もう読む前から、私は満足していた。
 世間的にいうと、これが河合隼雄氏の最後の対談などの意味で貴重だとするのかもしれないし、作家として手腕を発揮している小川洋子氏の創作のひとつの秘密めいたものが示されているとして迎え入れるのかもしれない。だが、私はとりあえずそのような思い入れがないし、個人の個性によって導かれたのではない。事象そのもの、この「物語」ということについて二人の話を聞きたいと思ったのである。
 取り寄せて最初の頁を開いたら、『博士の愛した数式』を河合氏が読んだというところから始まっている。私は、そのおおまかな筋は聞いたことがあるが、読んだことがない。そこで私は書店に行き、その小説を手に入れた。そして私にしてはあまり日数をかけずに読んだ。非常に好印象で読んだし、用いられている数学は、博士としては非常に初歩的なものばかりで知っていることばかりだったので、読みやすくもあった。もちろん、小学五年生やその母親のために話しているというような事情からすれば、その程度の楽しい数学であるということなのだろうが、その数字には小川氏なりに意味をこめた。しかし、その息子にルートというあだ名をつけて点については、だじゃれ好きの河合氏のほうが1枚も2枚も上手だった。小川氏も自分で気づかなかったような意味をその名に見出していたのである。私もやられたと思った。
 臨床心理学者としてユングをはじめ、箱庭療法などでも貢献し、ただ傾聴するだけであるかのような接し方により、河合氏は精神的な問題の世界に大きな仕事をしてきた。それを活かして政治の場にも抜擢されるのだが、「心のノート」を文部科学省が取り入れるために用いられたというようにも言える。
 自分も相手も、いずれ死ぬ存在である。その自覚があるところにこそ、やさしさが成り立つ。かの小説を通じて二人の話が展開していく中で、河合氏が告げるあたり、私の心の中が見透かされたようにさえ感じた。このように、いくらかその文章を読み慣れている私には、河合氏の目指すところについては、予備知識があったので馴染みやすかったかもしれない。それに対して小川洋子氏の作品を私は殆ど読んだことがない。関心はあるし、ラジオもずっと聴いているのだが、肝腎の作品を味わったことがない。そこで、その作家として物語を紡いでいくことについて、非常に興味深く拝読した。
 すると、こんなことが言われていた。「人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。」これは、自分がなぜ小説を書くかと問われていろいろ考えているときに自分の中に見出していった捉え方のようであった。そして、臨床心理という場面では、「自分なりの物語を作れない人を作れるように手助けすること」であるように捉えていると話している。この考え方に、河合氏も同意している。そして、私も同意する。「物語」ということについて、私は最近考えるところがあった。聖書はその物語の最たるものではないのか、と。しかし物語とは何かということを言語化しようとしたとき、私の拙い経験ではそれがうまく出てこなかった。そこで本書の題を見て、これだと膝を叩いたのであったが、果たしてそれは図星の結果をもたらした。
 物語を作るという人もそうだが、何かしら編み出そうとしたり作り出そうとしたりしても、うまくはゆかない。常にすでにそこにあるもの。実はずっとあったもの。それに、私が気づくかどうか、そこに、作品が形となって出てくるかどうかの基本がある。それは偶然に起こるかもしれない。しかし、出来事も、起こらないと初めから決めている人には起こらないというだけのことであって、私たちはそれを思いながら生きているならば、その偶然のものが恰も必然的なものであるかのように、自分の前に生き生きと現れる体験をする。これを「出会い」と呼ぶことができるとすると、ここには実はキリストの救いの形式が語られていることになりはしないか。
 しかしそこには原理的な経験としての、罪の意識が欠かせない。実は河合氏もこの対談の中で、その原罪を根柢にもつ宗教の重要性に触れている。それはただ苦しみで終わるためのものではない。それを礎として、生きていく力に変えていく必要があるというのだ。この指摘に対して小川氏は、神話や説話、昔話といったものは、その力に変えていくために重要な働きをするということを強調する。
 そのとき、自分というものは、大きな流れの中で捉えるべきものだということが絶対に必要なのだということで、二人の意見は一致する。自分のことをそこでは「個」と称しているが、オウム真理教の事件の背景にも、その欠落があったのではないかというようにも考える。自分をその大きなものの中に見いだせない故に、誰かの判断に安易に聞き従ってしまったのではないか、というのである。これは恐ろしいほどに、キリスト教にも当てはまると私は思う。世界における自分の位置づけ、さらにいえば自分と神との関係、これがないと、いくら口で信じているなどと言っても、何にもならないのである。
 小川氏は金光教の家の生まれである。祖父はその教師だったともいう。河合氏も、日本の昔話や日本人の宗教について非常に詳しい研究と考察をしている。日本人に着いては、「原罪」というところからではなく、本来的に「原悲」なるものがあると考えてはどうかと提言している。もちろん、金光教もまたそうしたものだと言い、新たな地平が拓かれていく。「かなしい」は、古来たくさんの漢字があてられ、多義にわたると言われている。古典を学習したときに、なぜ「愛しい」なのか、不思議に思った方もいるのではないだろうか。
 神と人とを明確に分けるキリスト教は、「観る」ことに傾くが、日本では「かなしい」という心の方に原理があり、何かしら混沌とした中でも、それをなんとなく受け容れていくことができる。だから、何かしらそれが矛盾だとしたときにも、西洋的にはその対立をどう解決するかということが問題になり、一方を取るとか、その限界を定めるとか、あるいは止揚するとか、いろいろな方法が採られるのだけれども、日本的には、その矛盾をとにかく心が受け容れ、生きていくという中に、その人の個性が現れるものと認めていく、そしてそれが物語であるとして、その個人を物語が支えて生かしているのだ、という理解を提示する。
 この対談(ディアローグ)は、半年を空けて二度にわたり行われ、二度目の対談の一年後、河合氏は帰らぬ人となった。小川氏は、その三度目に代る文章を、モノローグで綴っている。第一回の対談と同じくらいの分量になった。そこでは、河合氏を偲ぶ内容が語られていたかと思うと、もちろんそれに関してだが、あるユダヤ人との出会いの話を長く話す。そこから、物語と現実とのつながりが確固たるものとして存在するという確信が宣言されていくのだった。もちろん作家らしく、巧みに流れるようにそれがつながっていくのには感動したし、その中で私は読みながら涙を流していた。
 小川氏は、恣意的なストーリーを組み立ててから書くのではなく、描写に徹していくというような書き方をすると聞いたことがある。このモノローグでは、「作家は、現実を正しく見なければならない」と強く宣言し、「物語は既にそこにある」と断言した。河合氏の「お別れの会」のときに見かけたひとりの女性の様子をひたすら描写する頁もあった。感情や説明を押し出していることはない。ただ描写していた。そして私は、そこでまた涙した。
 小川氏のこのような姿勢に、「心がよそに行っていたら、必ず患者さんにばれる」と漏らした河合氏の言葉も、きっと重なってくるだろう。二人の思いはつながっていたに違いないし、そのつながりそのものが、確かな物語であったのだろうと思う。その物語に、私も勝手に参加させてもらったような気持ちでいるのだが、恐らくそれをお二人は拒まないだろうと思う。




Takapan
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