本

『生きるコツ』

ホンとの本

『生きるコツ』
姜尚中
毎日新聞出版
\1000+
2020.11.

 毎日新聞社が毎月発信している「私のまいにち」に連載されているエッセイをあつめたものだという。年齢層は高めであるから、齢70を数える著者の、身の回りのことやそこで気づいたことなどを綴れば、けっこうものになりそうである。
 最初からネタバレをするのもよくないが、タイトルの「コツ」には「骨」という文字を隠していて、生きる軸となるようなものをイメージしているのだという。もちろんそれは著者個人のものであるが、こういうのはどうでしょう、みたいな感じで気取っていないところがいい。
 姜尚中といくと、どうにも悲しい運命や身の上というものが重なって見えてくるものである。母のことを書いた小説もあったし、家族のこともいろいろある。しかし、本書について言えば、そういう悲壮なものは何ひとつない。読者も構えずに、リラックスして読めるものになっていると思う。こうしたスタンスのものがあると、ファン層も拡がっていくのではないだろうか。
 しかし、死というものを見つめる眼差しを隠しているようには見えなかったそれはいきなり「はじめに」の冒頭で触れている。生の側から死を思うだけであるから、結局人生のすべてを知っているわけではないため、人生のアマチュアであるのですよ、という視点をまず提供するのである。
 高尚な人生論も世にはあるし、歴史的な名作もある。けれどもいまの時代のいまの視点からの人生論は、それはそれで意味がある。とくにこのように人生の辛酸を舐め、悲しみを知る人の人生論、そかも暗くならないように綴られているものは、読んでいくうちにハッとするものがあると期待できそうではないか。
 それは、新型コロナウイルスの感染拡大の中で記されている。これに気が重くなる人も多いだろう。もちろん、実際に病気と闘っている人もたくさんいるので、考慮しなければならないし、医療従事者のための祈りを止めることはできないと思う。しかし、その感染のメカニズムを学ぶというばかりでなく、そういう情況にいるだけに、いまこそ必要な生き方の指南というものは、ちょっといいなと思えるものではないだろうか。
 目を逸らすことはしない。まず「コロナ時代を生き抜く」というテーマで集めたものをひとつの章として始める。思い出話や日常の中で気づいたことが、適度な長さのもとで並べられていく。さらに「孤独を友にする」と、人と離れて孤独を覚えた人へのメッセージともなるような思いが、様々な形で転がり落ちてくる。「老いてなお興味津々」というのは、私個人も共感できる。
 だんだん食べ物のことも話題が増えてくる。自分はとても健康で元気がある、その源としての食生活が紹介される。ちょっと羨ましいようなものだし、やや自己満足なところも窺えるが、もしかすると、その食生活のレポートが、読者にとり大いに参考になるということがあるかもしれない。この勢いは続く「妻の教え」の章にもつながる。夫婦としての付き合い方、生き方というものの意味を感じさせるし、ここにも食生活への眼差しというものが関わってくるから、やはり「生きること」について語るならば、「食べること」の意味が多大であるということを改めて感じるものであった。
 最後はより軽く、いまの住まいと猫の逸話が載せられている。内容的には重要な知恵があるというふうには読めないのだが、猫嫌いだった著者が、すっかり猫を気に入ってしまう過程がたっぷりと語られている。私はもちろん猫好きなのだが、さすが文章の力を知る著者である、猫好きは決して付け焼き刃ではなく、心から愉しんでいるのだなということが、よく伝わってくる。
 文章の巧いというばかりでなく、なにげなく用いる言葉も魅力があった。聞いたことがないわけではないが、非常に珍しい語が時折顔を出すし、どんな意味か、だいたい見当はつくけれど、実際どうだろう、と国語辞典を引いたことも何度かあった。言葉の勉強にもなったのだということを、付け加えておこう。
 なお、クリスチャンであることを大きくは述べないが、ちらっとそれが分かる部分もある。こうしたさりげなさもよいものだなと教えられたような気がする。




Takapan
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