『医学とはどのような学問か』
杉岡良彦
春秋社
\2200+
2019.10.
医学のためには、医学の哲学が必要である。それは、医学の本質を考えるものである。そうした意味での「医学概論」をご紹介する、という本を目指している。それは、澤瀉久敬先生の考えに基づいている、とも述べている。「医学概論・医学哲学講義」とタイトルに添えた言葉があるとおりである。
本書は、「医学とはどのような学問であるのか、現代医学の問題点は何であるのか、今後の医学はいかにあるべきか」を考察するためのものであるという。そして、総論から始まり、科学論・人間観・医療倫理や医療制度・価値といった各論に移り、不正や疑似科学という溝にも光を当て、最後に三つの補講が付け加えられている。そのことが「はじめに」に紹介されていた。しかし、読み進んでいる中で最後の三つにさしかかっても、そこには「補講」とは記されていなかったので、本書がどこへ向かうのか、方向性がよく分からなくなった。ちょっと記していてほしかった、と後から思った。
補講では、教養教育と孤独とスピリチュアルの問題が取り上げられていたが、実のところ、これらが非常に興味深かった。医学部教育の問題、孤独と病理、それから精神的人格について考察するのである。これらは、概論というよりも、筆者の意見、主張であるところが濃いのである。それぞれ主要な先人が持ち出され、またそれらを対立させて述べるなどするのだが、精神的人格というところでは、フランクルの考えの重要性を伝えるものとなっていた。西洋思想が背景にある、という批判はあることは認めつつも、そこに大きな意味を見出すものとなっていたように思う。孤独についても、他者の対する孤独、世界に対する孤独、これらは「ひきこもり」に限らず、孤独を覚える人のことを思うと考えつくものであるに違いないが、超越者に対する孤独という次元を想定する必要を見るとなると、明らかに西欧的な神概念文化を前提にしているように見えるはずである。しかしそれは、やはり人の心のためには考えて然るべきものだというふうに指摘する、西欧的な論文を大切にしていたように思われる。日本人にとりどうか、というレベルで考察することが多い場面で、敢えて超越者という思想を正面から避けずに捉えた点は良いことだと思う。と同時に、それがキリスト者にとり、非常に日常的なあり方として理解できるわけだから、信仰とは何かを考える上でも、有用な指摘である、と押さえておきたいような気がした。その孤独は、孤立とは異なるものであるという。孤独でも、超越者との「関係」が定かであるのならば、孤立などしていない、というのである。
順序が逆になったが、補講でない本編である場合は、ひとつの流れの中で次々と視点が転換され、問題が指摘されてゆき、学ぶ上でも入りやすいのではないかと思われる。医学の諸側面で扱われている問題、それを根柢的な部分から問い直すという試みが、絶えずなされていて、好感が持てた。
しかし、これは哲学ではない。哲学は、さらに根柢を問うものであり、本書の医学哲学は、医学そのものを問い直すという程度のものであるに過ぎない。ただ、医学が医学自身を問うというところに意味があるのであって、医学の現場でなされていることに「待った」をかけ、考えてみるという試みが、まずは必要であるということは否めない。そして、だからこそ医学者にとって、まず問いかけるに相応しい問いであった、ということになる。あらゆることを、究極の形で問題にする必要はないのだ。逆に、とことん問うならば、医学の現場や現象の事柄について、適切な問題意識とはなりえない。患者を前にし、病気を前にし、医者はどう診るか。その方法は、時代と共に変わるだろう。近年では、患者自身の決定権というものが重視されることになるが、それは患者自身に責任を負わせることにもなりかねない。まだ私たち人類は、医療については模索中なのだ。
また、それらを運営的に支える実務、あるいは医療制度というのも重要な問題である。薬価問題が、薬剤の使用と医療の現実にも大いに影響するのであるし、政策的な指示がころっと替えてしまうことも当然あり得るのだ。それを、そもそも医学は科学であるか、という次元から拾い起こすという作業は、一見無駄で役に立たないようなことであるかもしれないが、決して蔑ろにしてよいことではないはずである。そのことを、真摯な眼差しで問いかける本書は、医療従事者はもちろんのこと、一般の患者側に立つ人々にとっても、共に考え、捉えておきたいことをたくさんもちかけてくれるようになっていると思う。私たちは、いつその医療現場の当事者になるか、分からないからである。
そして、命というものを考える営みがここにあるとするならば、精神的なものを大切に考えている本書の姿勢は、実践的な場面に左右されず、もっともっと重視されてよいものだ、と考えたい。考えられていてほしい、と願うばかりである。

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