本

『医学概論』

ホンとの本

『医学概論』
川喜田愛郎
ちくま学芸文庫
\1500+
2012.8.

 名著と名高いと聞いて、手に入れた。1982年の著であり、著者は1996年に亡くなっている。そのため、「看護婦」という書き方のままになっているが、それはそれでいい。医学的な知識や考え方、医療の実態についても、時代の変化が当然あるわけだ。しかしその点は安心してよい。編集部のほうで、現在はこのようになっているとその都度注釈が入れてある。それよりも、将来このようになっていくべきだというような著者の見解が、現実にそのように実現していくのをまざまざと見せつけられるようで、その慧眼に驚くことのほうが多いであろう。
 医学の教育の中で、こうした概論が案外に軽視されているようなことも書かれていたが、これはただのあらすじや概論ではないと私は感じる。実地を踏まえた、ひとつの哲学と言うべきなのではないか。それを含んでいるために、名著とされるというのであろうとも思う。
 最初はいまの医学というものからドアを開けるが、それはそこに至るまでの医学の歴史を概観するためであった。4分の1余りがこれに費やされる。いくらか私が知るところもあったが、多くは学ばされることばかりだった。
 特徴的なのは、これはこうである、とただ書き綴るのではないということだ。一つひとつの事柄にっいて、著者の見解が堂々と戦わされていく。意見というよりはやはり見解というところだろうが、医学のその歴史的事実の中に、しっかりとした価値観を押えていくのである。もちろんそれは現代医学の視座からのものであることになるが、ただ歴史的事実を並べていくのではなく、それがいまの私たちにどのようなつながりをもっているのか、私たちがその歴史とどう関係があるといえるのか、それを考えていこうとすることだ。ここからも、これが医学のあらましではなくて、医学と生命の哲学に違いない、と思える。
 次には、生物学的なヒトのからだを紹介していく。それも素っ気ない記述ではなく、まるで楽しい講義を聴いているかのように思えてくるわくわくさがある。
 それから医療の問題。医療を、生物学の地平から眺め、もちろん病理学もだが、自然治癒力や死の問題にも踏み込んでいく。精神医学の意義にも及んでいく。
 さらに、診断ということや、医師と患者の関係を改めて問う。改めて、というのは、すでにそこに信頼関係が結ばれることの大切さを、本書のベースの一つとして置いていたからである。病人がはじめにいる。治してほしいと思い、医者を訪ねる。患者が来なければその出会いはない。患者の側にイニシアチブがある。自分の身体を、そして命を預ける患者が現れることで、医者と患者の関係が始まるのだ。
 本書の最後は健康という問題。健康など、健康なときには意識しないものである。病気になって初めて、健康というものが認識されるという皮肉な事態となるのだが、その意味を哲学的に問うというよりも、私たちが健康を図るためにどうするのか、どうすべきなのか、それを考える。そこには当然、社会的な要素も入ってくる。たんに生物学的な構造から病気や健康が捉えられるのではない。ヒトは社会をつくり、社会として衛生環境など、健康をどう創造していくか、それが問われなければならないであろう。
 文庫ではあるが、500頁近くもある大著である。索引も充実しており、何度でも見返したいものである。
 私はコロナ禍の中で本書を読んだのだが、疫病についても鋭い示唆が与えられている。たとえば「流行病防圧の本道は環境の改善ないし病原の伝播経路の切断という意味での前述の防疫措置で、ワクチンはいわば次善の策である」とある。ワクチンさえすればよいのだ、という短絡的な発想を戒めるものであり、これはもちろんコロナ禍よりも何十年も前に書かれたものであった。「ステイホーム」や「うがい・手洗い」がどんなに大切なことであるのか、しみじみ教えられる思いがした。私は「うがい・手洗い」はそれまでも毎日毎日習慣としていた。医療従事者の妻の教育によるものであるが、とにかく「うがい・手洗い」は日々何度でもするし、外から家に戻ればそれをしないことはない。お陰で風邪らしい風邪にもずいぶん長い間かかっていないが、ある意味でそれは当たり前なのである。
 医学目的でなくてもいい。生きるためにはこの身体は器として手放すわけにはゆかない。果たしていまの医師や病院との付き合いのために、本書のままでよいのかどうかは分からないが、こうした背景と事実を心の中にもっていくのといないのとでは、雲泥の差があるかもしれない。命について考えるため、あるいはここから倫理的な問題でも、社会的な問題でも、いろいろに考えるための入口にもなりうるように思えてならない。それは歴史や環境によっても変わるだろう。たとえば昔は外科医は下の地位にいる者であったことが本書でも強調されている。刃物を使う職人ではあっても、医者ではなかった。だから英語でも、単語が異なる。いわば下劣な作業をする下っ端だったというのである。するとまた、私たちが普通に「医者」と呼んでいるその言葉から、昔だったら私たちのイメージする医者とは違うものをイメージしていたはずである。同様に、「命」にしろ「治療」にしろ、同じ語を用いて話しても、その内容や理解が人により全く異なるということがあるのである。
 心のこもった医学概論である。まためくってみたいと思う。二度目には、きっと教えられたことが、少しは魂に食い込んでくるのではないかと期待している。




Takapan
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