本

『医学概論』

ホンとの本

『医学概論』
日野原重明
医学書院
\1600+
2003.3.

 手元にあるのは、2019年の第20刷。資料も2018年くらいのものは十分入っている。日野原重明さんは2017年に105歳で召された。キリスト者としての発言も豊かで、よき先人であった。医学書院の医学概論は定評のある教科書であり、医療従事者の学びの最初に開かれるものであるという。古書店で見つけて読みたいと思った。何にしても、基本の叙述というのは、参考になる。大きな誤解や読み外しをしないためにも、基本の理解は望ましい。医学の素人としては、概論というのはなんともありがたい存在だと思っていたのだ。安価にそれが読めるとはありがたいことだ。但し、本当に読む気になったのは、表紙に大きく「日野原重明」と書かれていたからだ。それは本当だ。
 概論である。とりたてて目を惹く説が唱えられているわけではない。私はそれがいいと思う。そもそも医学とは何か。生とは何か。そして病気とは。それから医学史が概観され、医学の諸分野について説明がなされる。健康とはどういうことか。病気とは何か。その原因とはどういうものか。ここからより医学的になっていくが、病理学的変化は医療現場での症状を紹介する場となる。
 診断から治療、そしてリハビリテーションとなると、医療行為そのものについて語られるのであるが、その次は予防である。予防医学というものは、比較的新しい考え方であると言えるだろう。衛生についての知識が、文明の要であったと言っても過言ではない。
 医療はシステムとしても知っておくべきであろう。これは患者の側としても重要である。セルフケアも必要だし、医療にどうかかるかという点からも、これは必須と言える。
 本書のひとつの大きな視点というのが、サイエンスとアートという対比である。もとよりサイエンスは必要である。科学的に病気や健康が考えられ、対処していく必要がある。神的治癒をも期待したり呪いに任せていたような歴史を思うと、それがいま医療現場で使われるというのは考えられない。科学的な情報と方法により治療は考えられていくべきである。だが、他方アートという観点を忘れてはならないという。アートと言っても芸術ではない。業というように訳すこともできまい。サイエンスでキュアはできても、それとは別にケアという考え方があるだろう。より個人的なアプーロチが必要であろうし、いわば「心」を考える眼差しが求められる。それは患者の側に立ち、患者の家族をも含め、苦しみや悩みを和らげることを使命とする。このアートとサイエンスとが、バランスよく支えていることが、医学や看護の核心であると言えるだろう。
 それは、ターミナルケアへの視点にもつながる。死が医学の敗北であるかのように見られる時代もあったことだろう。だが、死は避けられない。それを如何にして穏やかに、また豊かに迎えるか、それが問われるようになったのだ。そこには尊厳死という問題が関わってくる場合がある。本書がそれについて結論を下すようなことはしていない。ただ、問題点としてその観点は紹介する。そこから先は、私たちが考えるべき課題なのである。
 最後に衛生統計が付け加えられている。統計をどう読むかということが、新たな道案内となっていくのだろうが、さしあたりは資料の事実を読み取ることで十分であろう。
 ここでは医療行政の問題は深くは扱われておらず、医療現場で医師や看護師、あるいは保健師などとして勤務する人のための学びが網羅されている。それぞれの技術的なことをとやかく言う場面ではない。だからまた、政治的な事柄はまた別領域となるわけなのだが、こうした前提のような医学の立場をもまず押さえておいて、そこから社会としてどうするか、それを考えていかなければならないのはもちろんである。
 そうなると、これは医学関係者の教科書としてのみならず、一般の社会でも読まれて然るべきものではあるまいか。少なくとも私は、読んでよかったと感じている。医療側の視点をまるで知らずして、患者となるとき、へたをするとそれは暴力となりかねない。新型コロナウイルス感染症の社会の中で、それがどれほど医療従事者を苦しめたか、私たちは知らなければならない。私たち一般市民は患者側として、医療従事者たちに加害行為をしたのである。その自覚すらないのはまた別の意味での人間の罪業であろうが、それを少しでも防ぐためにも、医療側の立場を理解しようと努めなければならないのではないかと思うのである。
 特に色合いのないような本書は、その医療というものを知るために最適である。私たちは、教科書を大切にしたいと思う。どうか、医療従事者たちを忘れているような、自称善人たちから、まずこうした基本を知るような気持ちになれることをと願っている。




Takapan
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