本

『アイディアのレッスン』

ホンとの本

『アイディアのレッスン』
外山滋比古
ちくま文庫
\540+
2010.2.

 東大や京大で一番読まれているというふれこみの『思考の整理学』の著者である。2007年に単行本として出版されたものがちくま文庫で手に取りやすくなったということのようである。
 この本一冊で、とにかくアイディアを出すにはどうすればよいかという目的のために、様々なアプローチが提言される。いわばそれだけの本である。
 もちろん、そのためにはアイディアとは何かについて一定の定義が必要である。前半はQ&A形式で、これを丁寧に説くような時間を費やす。敬体で懇ろに進めて、読者が入りやすいようにしているのだろうか。
 しかしその最初、アイディアとは、という冒頭で、広辞苑から紹介するというあたりが、如何にも説明しますよ、と旧態依然としたノウハウものを見せてしまったように受け止めた。まずそこから思考するアイディアというものを放棄して、広辞苑の権威にただ従っているわけである。
 だが著者は、若い人がこうした思考から離れているということを決めつけて進めていくので、ちょっとはらはらしながら読み始めることとなった。
 思いつきのことだという辺りから無難に入り、日本人はモノマネだと世界で言われているんだぞという脅しも容れて、記憶だけでなく発想というものがこれから益々必要だというふうに、アイディアの必要性を印象づけていく。
 ともかく懇切丁寧で、私たちが生活の中で、とくに学生やビジネスパーソンなどがアイディアを必要としているという現場で感じるようなもやもやとした姿を、あらゆる角度で描き出していく。読者の信頼を得られれば、この後一気にアイディアを得るためのレッスンについてきてくれるはずである。
 長年いろいろなことを考えていると、多かれ少なかれ、ここに書かれているような思いは経験しているし、アイディアを生むための方法というものも、それこそ発見するアイディアをもっている。ひどく真新しいことが並んでいるようには感じられないが、しかし丁寧にあらゆる側面からアイディアを得るための道を案内しようとしている努力は感じられる。役立つことが書かれてあると言えるだろう。
 だが、口の弾みとでもいうのか、いやつい飛び出してくるというのは、その人の根底にどっしりと隠れて人格を形成しているものがあるからだ、という理解も可能なのであろうが、目を疑うような文に出会ってしまつたのである。
 あまりにステレオタイプ的な「日本人」の考え方はこうだ、式のものの言い方は、著者の活躍した時代においては常識であったかもしれないが、いまはどうだろう。でも、それはまだ我慢できる。しかし、ユーモアなるものがアイディアと強い関わりがあるとした上で、ユーモアを解しないのはどういう人か、という疑問に対して著者は、子どもはユーモアはわからない、とし、最近はそうでもないようだが、「女の人には冗談が通じない」と言い始めた。そして続けて、「知的洗練の度合いが低ければ、子どもに限らず、ユーモアは苦手になるでしょう」と言い切った。この人が、明確に、「女・子ども」を差別的に見ていることが分かる。もちろん、科学的な根拠などに基づくような言い方はせず、自分の印象だけの世界の話である。子どもは駄洒落しかわからない、女の人は冗談が通じず、どのように弁護的に読もうとしたとしても、知識洗練の度合いが低い、と断定しているわけである。
 その次に開いた頁で、今度は質問として、女性が俳句を最近つくるが、先ほど女性がユーモア(アイディア)に弱いこととどう関係があるのか、というものがあったところ、著者はすぐに、「女性が知的に成熟したということでしょう」と答えた。つまり、最近よくなってきたが、それまでは女性は知的に劣っていた、足りなかった、という意見をもっていることをはっきりと言ってしまった。そしてこの後の回答でも、それでも女性の俳句は真面目でアイディアが足りない、という偏見を堂々と述べている。
 この後は、メモをせよとか、忘却が必要だとか、いろいろ教えた末に「アイディアは運次第」だと言ってのけて、卓袱台をひっくり返すような言い方をするなど、私はどうも不信感を懐いてしまう。
 最後には、ブレイン・ストーミングやじっくり熟成されるのを待つ必要があることや、すでにあるアイディアを混ぜようといった、あらゆる手段を並べにかかる。とびきり具体的ではないが、場合はある程度描いてくれる。しかし、全般的に抽象的で、ただ手法についてのみ「カクテル」のような比喩をさかんに持ち出してくるのだが、きっと読者はそれでなんだか分かったような気にはなるだろうと思う。しかし、実際に自分がいま何かのアイディアを出す必要に迫られているときに何をすればよいか、となると心許ない事態になりそうである。尤もらしいような説明が多々加えられているのであるが、読者にとり直ちに使えるものであるような気はしない。結局偶然に任せるような本音が随所に出てくるので、どうにもアイディアが出るかどうかについては、方法はないのだ、という結論になりそうである。
 アイディアは、産んだ者が後から振り返れば、あれがよかった、あれのせいだ、などと言うことはできるのだが、確実にそれを産み出すことは無理なのだ。それは、経営で成功する方法といった本が、結局成功した人が思い出話を聞かせたところで、それを聞いた人がこれからそうやって成功するかというとそんなことはないのと同様に、アイディアも結果論でしかないようである。それなのに、こうすればいい、ああすればよい、ともったいぶったような言い方でレクチャーしても、果たして本当に役立つものであるのかどうか。自分の見聞を並べていることはよく分かるが、読者にとり得るものがあるのだろうか。それならば、「心落ち着けよう」とか「気分良く生きよう」とかいう精神論のほうがよほどアイディアが浮かぶ可能性が高いかもしれないし、逆に「温いお風呂にゆっくり入ろう」とか「散歩をしよう」とかいうように、リラックスできる生理学でも紹介したほうが、よほどアイディアを読者が産み出すことへつながるような気がしてならないのだが。




Takapan
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