本

『俘虜記』

ホンとの本

『俘虜記』
大岡昇平
新潮文庫
\750+
1967.8.

 著者自身の戦争体験をここにまとめあげた。と言っても、「あとがき」によると、複数の著書の記録を集めたものである、とのことである。そのため、文庫で560頁近くの大部となってしまった。これは著者自身によるものであり、各記録も、書くときの情況や自身の考えに変化があり、必ずしも一貫したものとして提供できるものではないかもしれない、という。だが、まとめあげるこのときの考えや感情で書き換えるというのもよろしくないとのことで、元のままにまとめたのだという。
 従って、少し味が変わったか、と感じるようなことが、ないわけではなかった。だが、概ねこれらは一筋の流れの中にある、俘虜記そのものである。
 フィリピンでの従軍における体験が、よくぞここまで記憶していたと思われるほどの詳細なものとして、遺っている。こうして遺された記録は、フィクションも混じっていることを考慮しても、非常に貴重なものであると思う。もちろん、戦後、事後の立場から思い返して綴っているために、純粋な記録として受け取ることには慎重でなければならないが、読者はそれぞれに受け止めるものがあってよいはずだ。
 そこにあるのは、死と常に接している緊張感である。時に諦めもあるが、生きようとする意志が確かにある。米兵とニアミスするところでは、殺す・殺さないの葛藤もあった。
 著者自身は、当時一定の年齢にあり、また英語ができるために、アメリカ軍の下に捕らえられてからは、役立つ者ともなった。周囲の日本人の姿も冷静に観察している。ただ、聖書に通じていたことから、「神」という存在をどこかに感じているようでもあった。
 フィリピンには教会があった。それをかなり気にしているようでもあるし、描写も細かい。また、「神の声」というものが、敵を射つまいとする自分に聞こえたことをも意識する。そうさせることが「神の摂理」であった、という考え方ももっている。またそれは、ミッションスクールの中学生であった自分が神を信じたことに基づくものであろう、と分析している。
 こうした著者の神への姿勢、キリストに対する考えというのは、時折余りに無視されたままに、本書が論じられることがあるのは少し残念である。また、だからこそ、本書はただの戦争記録でもないし、日本人の戦争観を示しているのでもない。キリスト者と言ってしまうのは著者自身に失礼なのだろうが、それにしても、聖書をよく学び、少なくとも信仰の経験のある人間だからこそ、日本軍兵士として生死の間を彷徨い、俘虜という稀有の経験をした中で生き延びたこの証しは、特異であると共に、貴重である。この点を抜きにして文学として論じてしまうことが、できるはずはないと考える。
 さらに言えば、西洋文明についても、一定の言及がある。ギリシア哲学からヤスパースまで、触れる場面も有るのだ。文学についても時に触れ、美学も意識して論ずるようなところも見られる。最後の演劇についての、どこかくだらない展開も、愉快であると共に、少し立ち止まって考えたくなるものである。性的な問題についても、またチャタレー問題もあってか、猥褻についての見解も述べている。
 これを、戦争問題だけの本だなどとして片付けるのはもったいない。そこにあるのは「文明批評」である、と言う人がいる。その通りである。戦争体験を辿ることによって、しきりに文明を、また日本をも考察している。すべて、生死の境目にいる人間の立場から、その視座から、どう捉えるか、という角度を以て、読者はまた読者なりの視座を自覚しながら、受け取っていくというのはどうだろう。




Takapan
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