本

『聖霊』

ホンとの本

『聖霊』
ビリー・グラハム
島田礼子訳
いのちのことば社
\2000
1979.9

 古い本をまた取り上げることについては、すみませんと言うほかない。価格もその時のものだし、お読みになることを希望しても、今売られていないかもしれない。
 非常に分かりやすい福音を説くことで知られている。日本でも、その名を冠した集会が開かれたことが幾度もある。アメリカにおいても、その伝道規模を考えると前世紀最大の福音伝道者であると評して間違いはないと思われる。
 こうした、語り手としてのイメージが強いせいか、私も確かにビリー・グラハムの本をじっくり読んだことがこれまでなかった。今回、教会の本棚から借りて読んだというわけだが、これが非常によかった。
 気取らない書きぶり、また高度な神学的知識を振りかざすのではなく、この教理的な趣のある本においてさえ、聖書を縦横に引用するほかは、至って分かりやすい福音伝道の口調で記されていると言ってよいだろう。しかし、それは分かりやすさだけを狙ったものだなどとはとても言えない。聖書に貫かれた説教は、やはり重みがある。しかも、知識習得を目指すのではなく、ただ魂が変わること、救いを受け容れる魂を待つことにかけては、書物においても全くブレない魅力を醸し出している。
 本のテーマは聖霊である。聖霊は、まさに神である。だが、イエスがそのヨハネ伝の中で、後から使わす助け主でもあるわけだし、今も私たちに臨んでくださるお方である。だが、かつての聖書時代の記事の通りに今も、というふうに走りすぎないように、著者は警告する。
 異言の問題も、聖霊と関係して取り上げられるが、著者は、異言を決定的な救いの条件や要件にはカウントしない。それは神からの賜物であるのは事実だが、異言がなければ救いがないとか、素晴らしい信仰者の証詞なのだとかいう捉え方については、著者は批判的である。
 それは、聖霊のバプテスマについても類推できる。聖霊の満たしを続けて祈るのはよいとしても、もはや聖霊のバプテスマにこだわるのではない、新たな福音展開が始まっているようなことが書かれてある。もちろん、それを聖書から開いて説く。魅力たっぷりである。
 牧師職のために神学の大学や大学院など出るのもよいだろうが、たとえば知人の牧師はそうした学歴がまったくないにも関わらず、すばらしい伝道者であることを挙げ、えてしてそうした学びを経ていない人において、神はよい働きを実現することがよくあることなのだ、とも言う。神の優れた兵士を今すぐ活用して、みこころに叶った働きがなされるならそれでよいのだ、と、人間的な眼差しを離れて、必ず神からの視点を考えている。だからこそ、何百万という人を救いへ導いたと言われるのも当たり前である。
 電車の中でも読んだ。もはや雑音は耳に入らず、集中して読めたというのも、珍しいことであった。霊的なものを確かに、この本はもたらしていると思う。祈りつつ読みたい。




Takapan
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