本

『本の読み方』

ホンとの本

『本の読み方』
平野啓一郎
PHP文庫
\680+
2019.6.

 2006年に刊行されたものに加筆修正を施したものだという。副題は「スロー・リーディングの実践」とあり、まさに内容はそれしかないと言ってもよいくらいである。ゆっくり読むこと。必然的に、対立概念は「速読」である。だったら「遅読」とでもなるのかと思ったら、けっこうカッコイイ「スロー・リーディング」である。
 それで、前半は、とにかく速読との対比をしつこいくらい展開して、スロー・リーディングの良さを強力にアピールする。本を味わい知るという意味では、速読に勝ることは明白であるのだが、そのうちにもう読書というのはスロー・リーディングしかありえないような気持ちに読者はなっていかざるをえない。そのように議論を展開しているのだから、筆者の作戦がちというところだろう。実のところ、そのように思わせるような秘密を本書の終わりのほうで種明かしもしている。お読みになった方は、当然気がつかれたことだろう。
 確かに私も、速読というのはできない。どうでもいいように思った本は、斜め読みはする。図書館から借りたものだとそれをしても惜しいとは思わないし、そのときにはラインも引けないのだから、斜め読みは正直することがある。でもそのときには、よほどその内容について知識があるのでなければ、内容が頭に入っていくという代物ではない。だから、筆者の言っていることはよく分かる。筆者ほどの読解力は私にはないが、説明されるまでもなく実践しているということや、そのように考えているということは多々あった。
 たとえばラインを引く効用については、日ごろ私もそのことを発信してもいたのだが、本書にはっきり書いてあった。私の知る限り、この効用を本で露骨に説明してあるのは見たことがない。きっとあちこちにあるのだろうとは思うが、私は同じことを考えている人に初めて出会ったと思っている。
 そのようだから、実際私が本を読んで考えてきたこと、ふだん思っていることが、けっこう重なっていると言うと、筆者には失礼にあたるかもしれないが、事実そうである。実に読みやすかった。
 しかしそこはさすが秀才の作家である。うまく表現するし、説明も淀みなく力強い。「誤読」のすすめというあたりは、インパクトのあるその説明に畏れ入った。具体的なコツのようなものがたくさん書かれてあって、私にとっては珍しいというようなことはないし、実際この本を読みながらやっていることがそのまま書かれているような不思議な感覚にさえ襲われたので、思わず笑ってしまったくらいである。
 古今のテクストを読む練習問題というか実践編があるのもいい。漱石の『こころ』や鴎外の『高瀬舟』といった高校生の教科書の定番あたりから始まるが、ここまで展開してきたスロー・リーディングの良さを実地に読者に体験させるような場となっていて、先ほど言ったとおりに、という感じでずばずばと進めていく。これは、有能なセールスマンの手法だ。手際もよいし、説得力もある。カフカの短い作品はそれで完結しているだけに、私も立ち止まり、これは何のことだろうと思いを巡らしながら、答え合わせをしてみるような感覚が楽しめた。種明かしのとおりではなかったが、悪くない読み方であっただろうと思う。川端康成の『伊豆の踊子』はいきなり問題が掲げられていた。私も迷った。というより、こうであるはずなのだが、素朴に読むとこちらになってしまう、と悩んだのだ。筆者の解答を見ると、ほぼ私の迷いがそのまま説明されていた。なんとそれは、康成自身が誤解されていたことについて自ら文章を認めていたということが明かされ、より良き解決も知ることができた。面白かった。
 その他、現代の作品や筆者自身の作品も例に取り上げ、読み方がレクチャーされていく。最後にフーコーの短い部分を仕上げの問題として提供された。フーコーの思考枠についてもっと知っていたらもっと楽に解けたであろうに、少し手間取ってしまった。これは、ラインやマークの付け方のレクチャーであった。私も生徒たちはに汚せと言っている。たとえばこのようにさせることを教えてきたことがあり、非常に共感できる。「しかし」や「確かに」などの決まり文句が用いられる意味についても、生徒に教えてきた通りである。ということは、私もまんざら読解することについて、妙なことは教えていなかったことになる。
 こういうわけで、私はひたすらこの本を楽しめた。もたろんいつものように、黄色いボールペンでラインを引いて読んだ。最近よくやっているフィルム附箋はついにつけなかった。それをやるときりがなさそうだったのと、そもそも意外だと思って貼るようなところが殆どなかったからである。
 ただ、ちょっとだけ注意したいのは、152頁で、ギリシア語のゾーエ(ー)とビオスについて、あまりにも簡単に割り切って区別した書き方をしているが、それは、筆者が触れているアガンベンの理解であって、事はそう簡単ではない。聖書の中でのゾーエーの役割は特殊である。古代ギリシアにおいても、研究者によりずいぶんと解釈が異なるので、ここでわざわざこのギリシア語の話を持ち出す必要は全くなかったものと捉えたい。事実、それなしでも文章の筋には何も影響を与えないし、むしろ引っかかりを与えることもなかったはずである。
 さて、筆者は、その読み方が、書くときの力になると考えている。確かにそうだと思う。また、書くことによって、読む技術が増すのもあると思う。書くからこそ、書き手がどのように考えてそれを書いたのか、というところにまで手が届くからである。
 本書は、大人でももちろん構わないが、高校生が読むのに適しているとは言えないだろうか。へたな国語の読解参考書よりは、ずんずん入ってくるような気がしてならないのだが。敢えて筆者の生まれや経歴についてはここでは触れない。デビュー作を昔衝撃を受けつつ読んだ。もうけっこうなおじさんになったけど、依然かっこいいよね。




Takapan
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