本

『ノートの書き方大研究』

ホンとの本

『ノートの書き方大研究』
親野智可等監修
PHP研究所
\2940
2013.3.

 図書館に置かれるためのシリーズの一冊で、堅牢な装丁になっている。小学生のための本である。「学力がアップする」とか「11のコツをマスターしよう」とか、表紙に加えてある言葉で、本の目的や内容がとっつきやすいものとなっている。
 監修者は、ネット世界では少し有名な、教育に様々な意見を言っている人。教育といっても、学習面、学力に関することであるが、発言を続けているところから、近年マスコミにも注目され、教育出版物の監修者として広く活躍している。
 おおまかな背景はこれでいい。問題は中身である。
 学習上逃れられない、ノートという道具。ところが、学習についての方法論は多々あっても、ノートという必ず使う道具については、自然とできるようになるかのように、まとまった指導というのが、これまで欠けていた。私も常々そのように感じていた。かといって、カリキュラムの都合上、ノートというものは……などという講座をもつことはできなかった。要するに、学習が進む子は、そもそもノートが書ける子である場合が多く、ノートの書き方そのものが分からないという子は、学習効果が上がらない傾向は、ほぼはっきりしていた。
 そもそもなにを書いてよいのか分からない。どう書くのか。中には、もったいないから、と言ってぎゅうぎゅうに詰めて書く子がいる。逆にやたら空間がありすぎて、一頁に筆算二つ書いたら次の頁に移る、という場合もある。また、答えだけ書いて○×が並んでいることで終わるノートもあるし、色づかいは美しすぎるが、書くのに時間がかかるのと、きれいに書いたことで自己満足しそれで終わりという子もいた。こっそり書き直してマルにしないと親に叱られるのか、あるいは親が単純にそれを喜んでいるのか知らないが、まったくノートの役割を果たしていないという子もいる。つまり親としても、やたらマルばかりのノートは、とくに塾の学習においては、ありえない、という認識をして戴きたいものなのであるが、今そのことを引き延ばすつもりはない。
 具体的に、ノートというものはどのように書けばよいのか、また、そもそも何のためにノートはあるのか、という点などを、子どもたちはもっと学習する必要がある。元来学習意欲と才能があり、選ばれた子どもたちばかりが学校に集うような時代ではないのだ。野球のルールを知らない子が、野球チームに入った様子を想像してみるとよい。とにかく打ってみろ、どうして打てないんだ、などと責めるわけにはゆかないだろう。だのに、ノートが汚いね、あるいはノートの書き方が悪いね、などと子どもたちに言うだけでは、学習の成果もやる気も、よいようには働くまい。
 参考書の中の二頁ほどを費やし、ノートはこう書く、などという指導がこれまでなかったわけではない。だが、まるごと一冊ノートの書き方という指導は、実に少なかった。今、おそらくそれが必要なのだろうと思う。ノートの書き方を教えてやってほしい、という親の要望は、実はかなり多いことなのである。
 ノートと仲良しになろう。ノートを構造的に書こう。科目ごとにノートを構造的に書こう。この三つの章立てで、この本はできている。内容は60頁くらいだから、子どもたちにも無理なく眺められる。また、どれを実践してみたらよいのか、思い悩む必要もない。おそらく、基本的に全部やればよいのである。また、それくらいの分量であると思う。それも、親向けでなく、小学生が直接見て、すぐに納得できるような表現とアドバイスになっている。ちょっとしたイラストを入れてノートを楽しくしよう、という提案などは、子ども心をしっかり掴んでいる。私も、板書させるときに、しょうもないイラストを散らすと、子どもたちは結構喜んでそれを真似して描く。子どもに真似できる程度の、アイコンめいたものを、気軽に奨励している。教師たるもの、ちょっとした絵心が必要である、と手塚治虫が力説していたが、まさにその通りである。子どもたちもまた、ノートに落書きでないイラストを置き入れるくらいの遊び心は、あってよいのだ。それを、東大生のノートにでもしたいつもりなのか、整然と理想的な大人のノートのようにしなさい、と小学生に挑む親もいるわけで、もったいないなあと思う。
 また、小学校で先生の書いたことをまずは全部そのままに書かせる、という指導も本来有効であるのだが、近年、板書のまずい先生が増えてきた。担任が全科目教えるとなると、そのような先生のクラスにあたった生徒は、年間、ノートを下手に書く修行を続けているようなもので、問題がある。また、親切心からか、時間効率の意味なのか、プリント学習が多いのが実情であるのだが、このように何もかも教える側が用意してしまうと、子どもたちがノートを経験して覚えていく機会がどんどん奪われる。考えものだ。
 学習障害の子にとり、タブレットパソコンのようなものは、朗報である。それは助けにしたらいいと思う。が、そうでない子までが、カッコイイのかIT時代だからか、ノートでなくタブレット教育の波に巻き込まれようとしていることに、私は純粋に憂いを覚える。ノートを書く能力が欠落してしまう。自ら構成を考え、情報を整理していこうとする感覚を育てる機会を逸してしまう。リテラシー教育の反対をやらかしてしまう。タブレットを全員にもたせるよりは、週に一時間、ノートの取り方を含む、情報整理能力のための授業を続けるほうがはるかにましであろう。
 全くこの本の紹介にはなっていない。ただ、必要な本だ。良い本だ。私は、塾に来ている子どもたちにも、この本のことは紹介しようと思う。




Takapan
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