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『ホスピタリティ哲学宣言 iichiko 2013 NO.119』

ホンとの本

『ホスピタリティ哲学宣言 iichiko 2013 NO.119』
高橋順一
文化科学高等研究員出版局
\1500+
2013.7.

 こうした本があること自体知らなかったが、古書店で見つけて、惹かれて買った。丁寧体で優しく書かれているが、非常に筋道立っており、読みやすい。大切な考えは、くどいくらい繰り返され、うっかり読み過ごすということがまずないように配慮されている。そのため、このひとつの論文調の文章が、それほど多くのことを述べている訳ではないのだが、ぐいぐいと迫ってくる力を覚える。
 ホスピタリティという概念の定着に最初時間をかけ、私たちが普段知る「ホスピタル」という言葉の元の姿であるというあたりには拘泥せず、もてなすというような意味にすら留まらない方法で、近代批判の立場を徹底する。
 そう。本書は、近代思想を徹底的に見直そうという、思いのほか壮大な視野をもった提言なのである。
 まず以て「もてなし」から入るのはよい。そこに「贈与」という概念を絡めてくる。これも最近大いに注目されている捉え方であり、ここでは、外部からの異質な接触に対する私たちの態度を問うことになる。しかし近代において、人間は自然を利用することに躍起になり、知性をすべてそのために用いるように傾いていってしまった。生命すら、機能分析をも行い、原子的な理解へと突き進んでいく。ただ、そこへ急がず、論旨は私たちの身近な風景を眺めさせ、そこに潜む考え方に気づかせるようにたっぷりと時間をかける。この方法は優れているものと受け止めた。哲学的思考に慣れた読者ばかりとは限らない。そこで、身近なものからどこか帰納的に触れ、その合間に抽象的な概念を掲げて意味を覚らせる方法は、私も積極的に取り入れようと思った。
 相当な哲学者の名前が並ぶ。近代初期における名前もあるが、それは概して批判対象である。しかし、現代と呼んでよい新しい哲学者の名前も、その思想を紹介するのが目的ではなく、近代批判をした哲学者たちが、ここでいう考えと近い路線を走っていたことを挙げるものである。本書の一筋の主張を脇から支える声であるとして援軍扱いしているかのようである。
 文化のみならず、経済の背景もきちんと扱う。というより、著者はこの経済思想に詳しいようだ。でも、それを得意げに用いるのではなく、さりげなくやっているのがまたいい。
 いったい、近代は何を理想としていたのか。私たちもまだその幻想の中に囚われているために、自ら気づかないようなことが多々ある。それを指摘するのが、洞窟の比喩ではないが、哲学者のひとつの使命であろう。とくに中程で取り上げられる「啓蒙」という概念は、実は論の最後で大きな影響を及ぼすものとなる。
 近代は「もの」へと還元される対象の把握に邁進した。しかし「こと」という概念にもっと気を向けるべきではないだろうか。そんな話も交えて、実のところ問題の扱い方は多彩である。読者は、自らよく知らない分野出会っても、どこかひっかかるところがきっとあるだろう。特に、エンデの『モモ』をご存じの方は、後半の「時間」を巡る説明には膝を叩くのではないだろうか。物語をご存じない人にも論旨が分かるように案内されているので心配はいらないが、これはきっと呼んで考えておきたいファンタジーのひとつであるだろう。あまり強調された言葉ではないが、近年の「傾聴」という言葉について、改めて考えてみたくなる。この本に限らず、『ことばの劈かれるとき』など、私の知る本がよく登場し、なおさら親近感を個人的に覚えたのだが、それは私と近い問題意識をもっている著者であるからだろうというふうに勝手に解釈しておいた。そこで、五感についての叙述のところで紹介されていた本も、すぐさま注文したほどである。
 そう、私たちは、視覚にあまりに重心を置きすぎである。礼拝で聖書を「読む」ことからなるべく避けようとするポリシーをもって私も久しい。神の言葉は「聴く」ものだと受け止めたい。
 実に多くの視点を提供し、共にそこに連れて行って様々なものを見せてくれる。そして目的は、近代の常識を打破することに向けられており、さらに言えば、いまある私たちの立場というもののあたりまえさが、実はそうでないということ、むしろそれを変えねばならない必要に迫られていることに気づく、気づかされるということが、ここでぶつけられている課題である。読者が安全なよそにいるのではない。この呼びかけの、正にただ中にいるのである。ただ、そこで声を聴くかどうか、そこが問題である。他人事ではない。ここでも触れられているが、SDGsというのが、本当に私たちの未来の存続にかかった捉え方であるとしたら、それを具体的に、ここで提言された「ホスピタリティ」ということを踏まえて、誰しもがきっと考えねばならないし、何かしら実行していかなければならないということを強く思わされるものである。もう一度告げるが、これは他人事ではない。




Takapan
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