本

『奇跡と呼ばれた学校』

ホンとの本

『奇跡と呼ばれた学校』
荒瀬克己
朝日新書025
\735
2007.1

 京都の堀川高校。それは、私がかつて住んでいた家に一番近い高校であった。道路一つ渡れば、そこにあった。織田信長が絶命した地のすぐそばである。
 京都の公立高校といえば、入りやすい代わりに、大学進学に関しては望みの薄いところだという通念ができていた。そのために、私学受験が盛んになっていた背景もある。そこで私は進学の指導をしていたという状況でもあった。
 この堀川高校が、教育界で、大きな話題となっていた。いわば改革を実行して、大学進学者が激増したのである。
 この本のサブタイトルにも「国公立大合格者30倍のひみつ」とある。
 その改革の当事者、堀川高校の校長の執筆した新書である。
 結論から言うと、私は、聖書関係でなしには、実に珍しいことなのだが、読んで涙した。どこでそうなったのかは伏せておくが、本全体に関しても、私の思いと重なるものが多かった。違うのは、この人は確かにそれを実行した人なのだ、ということ。私のように、机上の空論とは訳が違う。
 大学合格を唯一の目的として教えるのではなく、善く生きることを願いそのように生きる力をもつ人物を育むべく、教育のプロであろうとする姿勢。そのためには、綺麗事ばかりを言うのではないにしろ、高い理想を掲げ、なおかつそれを実践していく忍耐と努力が必要である。
 ここに細々と挙げる必要はない。誰もに、読んで戴きたい。そして直に感じとって戴きたい。
 改革のすべてを晒していると言ってもよい。言うなれば企業秘密である。しかし、これは企業ではない。教育である。教育とは何か。著者には、それにも答える哲学をもっている。国を愛するということは本当にはどういうことであるべきなのか、確かに握って分かっている。だからまた、この本が爆発的に読まれていないことが、逆に国家の危機であるのだというふうに、私は感じる。将来の国をつくる事業である教育という観点をもちながら、生徒たちを成長させていることを始めたこの、国家的な教育事業への偉大な一歩が、教育の世界のほかの人の関心を呼んでいないということが、すでに国家の危険性を露呈してしまっている、と思うのである。
 元々国語の教師でもあるせいであるかもしれないが、言葉の重視や言葉に対する考え方も、私と大きく重なるところがある。まさに、思考は言葉によってなされる。言葉を軽んじるところには、創造も論理もなければ、国の未来もない。それは、言霊などという、情緒的な伝統重視の策略とは対極にあるものである。この本は、政治的な判断はすることがないが、私には、国家を恣にしようとする勢力に対する、強い怒りが背後に燃えているように感じられてならなかった。
 黄色のマーカーで、本は塗りつぶされそうな勢いであった。それほどに、私にとって、大切な本となるに違いなかった。




Takapan
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