本

『本を読まないとバカになる。なぜか。』

ホンとの本

『本を読まないとバカになる。なぜか。』
池ノ上直隆
日新報道
\1365
2004.7

 刺激的なタイトルである。
 出版物の売れ行きを憂える本屋か、または学力低下を指摘する教育産業かの提案かと思ったら、ビジネス書を執筆する著者によるものだった。
 ビジネス系となると、高校を卒業したくらいの人なら誰でも読めるような書き方がしてあるわけで、ことさらに高度な専門性のある話を交えて本が書かれることはない。ときおり、とある権威あるデータや実験の結果を引用して、だから云々と自分の結論を説得力あるものとして押し出すものである。
 それでこの衝撃的なタイトルの本の場合どうかというと、やはり期待を外れることはなかった。何らかの調査データと、自分の経験、そして自分の信念のようなものを並べれば、流れができる。とくに成功者の体験がそこに入れば、鬼に金棒である。
 とにかく、読書が良いものであることは、私も同感である。なかなかすべての人に勧められるものではないかもしれないが、少なくとも自分にとって読書、あるいは本との出会いは、なにものにも代え難い経験であった。
 平均的に、読書をしなくなったというのは、ある意味で当然である。読書のほかのもののために使う時間が増えれば、読書の時間は相対的に減少する。また、読書というものの定義、あるいはその測り方も問題である。雑誌はもとより、ハウツーものを一日3冊眺めたことで読書という場合もあれば、カントの1冊を一ヶ月かけて読んでようやく一冊という場合もある。テレビを見ながらなんとなく目を滑らせての2時間の読書ともいえるし、全力集中の20分という読書もあるだろう。
 たとえば、教育的に読書をどのようにしていけばよいかについての言及も、著者の経験の範囲内でのこと、そして著者の信念に基づくこと、こうしたことが書かれてあるものとして、この本を認識し、利用するならば、役立つこともあるだろう。だが、闇雲に信用してよいかどうは疑問である。そのような距離を置いて、お読み戴きたい。
 でなければ、身体的あるいは能力的その他の理由で、本を読むことができない人は皆、「バカ」というレッテルを貼られたまま過ごすことになってしまうことだろう。私はこういう無神経な(無邪気であるがゆえに許されることではない)タイトルを付ける商売には、怒りを覚える。




Takapan
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