本

『「本当の自分」の現象学』

ホンとの本

『「本当の自分」の現象学』
山竹伸二
NHKブックス1070
\966
2006.10

 かなり硬い本であるので、安易な気持ちで開くと困惑するだろう。
 ただ、自分の体験などを踏まえて、「自分探し」について分析しているので、関心のある方は案外面白く読めるかもしれない。
 本に記されている内容はというと、多分、最終場面で書かれているような、ほんのわずかのことでしかないのではないか、と思われる。これだけの分量を用いたわりには、どこか行きつ戻りつ、回りくどいような気がしないでもない。
 はたして現象学についてこれほどの頁を割く必要があったのかどうか。
 ハイデガーやフロイトについての解説を多く施す必要があったのかどうか。
 哲学を多く自学されている割には、それをいとも簡単に超克したかのような記述に、思いこみの多い部分を指摘できるかもしれない。それを超克するのは、自分の等身大な部分における、体験的感覚のみである。歴史の吟味に耐えうる哲学者の思考は、それほどのことで突き崩されるほど、柔なものではない。ハイデガーならハイデガーに、賛成できないという気持ちを著すならまだしも、ハイデガーを自分は超えた、という宣言は、誇大妄想的ではないだろうか。
 どこか自閉的で、粘着的な記述を覚えるのは、読者として私だけではないかとは思うが、「自分探し」というものにどこか不安を覚えつつ、それを探求することの意味づけを懸命に行おうとする意図は、はっきり現れている。
 はたして、この分析で、「自己探求」の全体像が得られたのかどうか。どこか孤独な思索者の一面は溢れているけれども、たとえば配偶者と支え合う中で二人で一つのような生き方をどう捉えるか、とか、我が子を育てる中で、子どもに翻弄されつつ成長させられ親となって成長していくような過程が考慮されることがない、とか、人間形成の幾多の要素が顧みられていないのは残念である。
 その「本当の」の語義さえ、十分明らかにされたとは言えないように感じた。何が「本当」であり、何がそうでないのか。あまりはっきりしないままに、既知のこととして議論が展開されていくので、もうひとつ掴めなかった感がある。
 私にこの本以上のものが書けるとは思えないが、さりとてこの本で解決がつくような思いもしない。私たちは、自分のことを、それほどに「偽りの自分」だと思う必要は、ないのではないだろうか。どうであれ、これもまた、本当の自分なのだ。どの自分もまた、自分であっていいのではないだろうか。どうして、「偽りの自分」だと思うか、の分析のほうが、よほど理に適っているように思うのだが。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります