本

『本は、これから』

ホンとの本

『本は、これから』
池澤夏樹編
岩波新書1280
\861
2010.11.

 タイトルの「、」が、ちょっと息を呑むような呼吸を表しているようで、面白い。岩波新書に、37のエッセイが載せられている。
 編者が冒頭で前書きに替えて執筆しているが、これがさすがにパンチが効いている。以後、作家もだが書店主や編集者あるいは図書館関係者など、本に関わる仕事をしている多くの人が名を連ねている。
 実を言うと、こうして様々な立場から意見を述べてもらうのは、楽しい。ある立場からだけで、様々な可能性を挙げて論じたようなものがあるが、結局視座は一つなので、同じ景色しか伝わって来ない。ところがここには、たくさんの視点がある。なるほどそういう立場ではそういうふうにも見えるのだ、と新しい発見がある。一人一人の語りは短いが、逆に言えばそれくらいがちょうどよい。まさかツィッターの影響ではないだろうが、短い呟きの羅列のようなものは、見ていて厭きないのだ。
 いや、それは半ば冗談である。ここには深刻な問題があり、それぞれの人の思い入れがあり、時に人生があり、希望がある。本は決して人生の贅沢品ではなくて、人の知的な営みそのものなのだ。ホモ・サピエンスと名のる限り、人は本から離れられないのではないか、とも考えられてしまう。
 もちろん、それは教育の大きさを物語る。識字率が低いままでは、本はごく一部の人の贅沢品のように見られたかもしれないし、別の角度から見れば、支配権力の象徴ともなりえたであろう。だから、この時代に本というものが誰の手にもあるというのは、過去の歴史と単純比較することができない状況にあるということを意味する。
 冒頭で編者が整理しているとおり、この本にある大まかな意見は、「それでも本は残るだろう」ということだ。「残ってほしい」「残すべきだ」「残すべく努力しよう」が付け加わると分析しているのも、たぶん正しい。
 事は、最近の電子書籍の隆盛である。電子書籍そのものは、これまでにもあった。だが、昨今の盛り上がりは、これが一気に広がる気配を有しているといえる。これが、本の残存についての危機感を呼び出している。実際、この危機感は確かなもので、本の市場そのものが電子書籍に、いわば荒らされているのである。アナログレコードがコンパクトディスクに乗っ取られたように、紙の本も駆逐されて、消えてなくなるかもしれないという危機感がここへきて現実味を帯びるようになったわけである。
 しかし、ここに寄せられた方々の中には、すでに電子書籍を堪能している人もいて、その使い勝手を実際に喜んでいる人もいる。他方、危ぶんでいるのは、電子書籍なるものに触れたこともなさそうな人でいることもある。紙の本ほの執着、自分の人生の歩みを懐かしむがごとく、本と抱き合っているような感傷も分からないわけではない。様々な感情がそこに混じっているのは確かであろう。
 いろいろな意見や分析があるが、ここで一つ確認しておきたいことがある。いったい「本」とは何か、ということである。つまり、紙の本のことを言っているのだろうが、電子書籍もまた「本」だと呼んではいけないという状況がここにある。しかし、昔卒業論文が手書きしか許されなかった時代を私は知っているのに対して、今そのような規則をごり押しする大学は稀ではないだろうか。手書きにこだわる、という意見は、ワープロが出てきた頃にも確かに見られた。あれと同じような、下手をすると断末魔の叫びのようなものに終わる可能性さえあるわけだ。ただし、いくらワープロ機能が世に広まったにしても、そういう中で手書きの大切さが尊重されるなど、特定の分野では手書きでないといけないと考えられているものもあるだろう。もはや、ワープロと手書きの使い分けだとか、手書きは生き残るかなどという議論をすることは、まずない。
 つまり、「本」とは何であるかという定義を抜きにしての議論は、空転する可能性があるということだ。言葉の定義の食い違いの歴史が哲学の歴史だという名言があるが、そのように、ここども「本」という語の認識についての食い違いが、憶測を含めて混乱を招いているとも考えられるのである。やがて、電子書籍だろうが紙のものだろうが、「本」と呼ばれる時がくるかもしれない。その意味で、ある人がこの本の中で、今や誰も「eメール」とは言わなくなったと呟いていた。すでに「メール」で通用するのである。
 思うに、たとえば雑誌のような一過性のものを「本」と呼ぶことについて、一部の人が抵抗をもっていて、文学性の高いものをこそ「本」と呼びたいという思い入れがあるように見える。ところが昨今、電子書籍に最もしやすいのが、この文学的なものであることから、傷口に触れたように反応しているのではないか、と思われるのだ。それは活字なので簡単に電子書籍化できるのである。これまでの電子書籍も、その方面から広まった。それがここのところ、雑誌やグラフィックスを含むカラー画面が評判になり広まろうとしているものだから、もしかするとまた様相が変わってくるのかもしれないという気がする。
 いずれにしても、「本」はこれからどうなるのか、興味深い。すでにCDが、ダウンロードする音楽データとしての販売にマイナー化している現状で、紙の本が従来よりは下火になることは間違いない。しかし、そもそも紙の本にするだけの必要や価値があるのかどうか、そういうところから考えれば、逆に価値ある本も登場するだろうし、電子書籍に受け容れやすいものがまた発展することだろう。
 この本は、こうした沢山の視点を提供してくれる。一度は、この「本」を見ておきたい。




Takapan
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