『ホームレスでいること』
いちむらみさこ
創元社
\1400+
2024.8.
シリーズ「あいだで考える」の新しいものが入手できた。タイトルの凄さに、実は気づいていなかった。読み始めるとすぐに分かった。著者は、まさにホームレスの人なのである。それも、もう20年以上も、東京都内の公園で生活している女性なのだ。
サブタイトルは、「見えるものと見えないもののあいだ」となっている。このテーマは、簡単なようで、恐らくそうではない。かなり深いところを探らなければ、見えてこない。だからこそ、「見えないもの」との間を考えることになるのであろう。つまり、そもそも見えていないからこそ、見えないものとの間、というものが分かるはずがないのである。
それはさておき、このホームレスのレポートは、決して「体験記」というものではない。もはや自分自身のアイデンティティが、ホームレスの中2有る、ということである。
美術に携わる。大学でも学んでいる。いまも芸術系の仕事をすることがあり、アーティストとしての働きをもち、美術館での発表もあった。知らない土地で暮らすことが多かったこともあり、いつしか東京の公園で暮らし始めたようである。その後、ホームレス問題というものに関わっていき、「女性と貧困ネットワーク」を立ち上げることとなった。しかし、フェミニズムや反五輪の問題へも視野が広がり、活動をしているのだという。
とにかくその立場から、本書は延々と語りが始まる。それに引き込まれる。その視点は、他のどんな筆者の文章からも味わうことができない。しかし、それは好奇心から覗くべきものでもない。
いきなり、「ホームレス」という言葉についてどう思うか読者に問いかける。それから、公園のテント村に住みはじめる経緯や、そこでの活動について読者に知らせる。
ホームレスでいることの実際の現実が描かれ、そこでの問題や危険性も教える。なにげなく描くが、女性に対する「暴力」が起きている現実も、知らせる。本書は若い世代に向けてのシリーズだと私は理解しているが、それにしてはかなり刺激的な事実の描写だ。それも、幾度も幾度もその点に触れている。実際にあるのだ。だからこそ、女性のホームレスの人々が集まり、何かをしようと動き始めていることになる。だが、そうして形成したグループでも、人間の集まりであるから、必ずしも皆が一致するものではなく、小さな集団ができる、といった本当のことも、きちんと語られる。一方的に理想を描くようなことはないのだ。つまりそれも、筆者が現実にその場の中にいるからにほかならない。
社会人がホームレスを見下し、何かと言ったりしたりするというのも酷いが、中学生などが、いわば無邪気に暴力行為をしてくることについては、立ち上がらなくてはならない。中には、それなりに謝るところまで至った中学生もいたという。学校に通報したのだ。だが、横に先生がついていたから、謝らねばならない、というような雰囲気があったかもしれない。先生などいない場で、人間対人間として向き合う機会が必要だったのではないか、という気もする。
街の再開発の問題や、オリンピックやパラリンピックという建前の中で、ホームレスが追い出される現実にも、強く反発を見せる。もちろん、行政としても、たんに排除するわけではなく、一定の住まいに収容することを目的としている。そうすることがよいことだと確信しているからだ。建前はそうである。だから、外で寝て暮らすその場所はああだこだと言って居させないようにするし、ベンチも横にさせないようにする。公衆トイレも封鎖するなどする。そうしたことの現実を、当事者の声として、本書からたくさん聞くことができる。
特に最後のほうで、そのパラリンピックやLGBTQを題材に壁に描くアートギャラリーを開くために、公園からホームレスを追い出すということがあったという報告は、切実だった。弱い立場の人々と共に生きる世界の絵を描く。そのために、ホームレスはそこにいてはならない。どこかに行ってくれ。当事者からは見えているその世界が、一般社会の人々やお偉い人々には、見えていない。そのことを、筆者は強烈に突きつけてくるのであった。
世の中で主流とされている価値観あるいは生き方に対しては、どうしても順応できないタイプの人もいる。「ホームレス」と呼ばれる人々は、そのひとつの姿である。この呼称は、必ずしも最適の呼び方ではないかもしれないが、この姿が実は自分が自分らしく生きることができる「ホーム」であるという感覚をも大切にしたい様子も見える。だから「ホームレスであるにも拘らず本当はいい人だ、尊敬できる」というような言葉そのものの中に、悪質な危険性を見抜くことも、本書は簡単にやってのける。差別をしない、という自負をもつ人が一番危ないのと同様である。その意味では、私もまたこのように綴りつつも、加害行為をしているか、少なくとも助長しているものなのだろう、と懼れる者である。
こうして、私のような読者はきっと、新たに何かが見えてくるのだろう、ということを筆者は期待しているように感じる。本書を読む前までは、「見えないもの」であった何かが、今「見えるもの」になりつつある。見えていなかったものは何だろう。それを当事者として見ることはできないかもしれないが、たとえ少し離れた場所からであろうと、自分の生きる世界と自分との関係、またそこにいるその人とその人の生きる世界との関係、そうしたところへ、想像力混じりであっても心が届くような経験を、本書はもたらそうとしているのかもしれない。だから、本文を閉じるのは、次の一文である。
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