本

『羊と鋼の森』

ホンとの本

『羊と鋼の森』
宮下奈都
文春文庫kindle版
\700+
2018.2.(単行本2015.9.)

 読んだのは電子書籍。デイリーセールがあった。それは、映画「羊と鋼の森」の初日だった。Amazonもやるなと思いつつ、平時の60%オフは、古書よりも安く、考えた末に手を出した。そして、一日電車の往復に少しプラスした時間で読み終えた。一気に読んだというところだ。
 爽やかであった。映画については、宣伝が著しく、役者の輝く場面がいくつか繰り返し報道されていたが、もちろんストーリーをすべて明かしはしない。そうした予備知識があるために場面を描きやすかったのは事実だが、おもに評判という程度で認識していたので、物語そのものを楽しむことはできたかと思う。
 ピアノの調律師になった男の子の物語である。その「僕」という視点で通して語られる。そもそも学校でとくに目標もなく過ごしていた平凡な男子高校生が、学校に現れたピアノ調律師と偶然から会うことになり、心惹かれる。そしてたちまち、その弟子となっていく。このあたりの展開は突然すぎて、ついていけない気がしたが、しかしそれは魅力であったのだろうと思う。というのは、そこから先輩方をはじめ、いろいろな人との出会いがあり、成長が始まるからだ。その前提となる状況設定に、さしたる理由や説明は、いらないのだ。
 個性ある先輩たちと、それぞれの交わりがある。とくに人と接するのがうまいわけでもない僕だが、調子に乗るでなし、お世辞を言うでなし、素朴に調律に向かう日々の中で、交わりができていく。
 顧客の中に、双子の高校生姉妹がいた。これが作品に華をもたらす。あまりに詳しく書くと楽しみがなくなるから、ここはぼやかすことにする。しかし最後まで、この高校生たちとの交わりが、僕の成長と新たな景色に影響を与えるのである。
 北海道の極寒の山奥から物語は始まっていた。北国の山、そして森。その森の風景に、ピアノという楽器がどう関わるのか。いや、とにかくそれが似合うから不思議である。羊と鋼は、ピアノの調律そのものを指す。羊毛と鋼とが調律の要、ピアノの内部構造を象徴している。
 文章が文学的にどうであるなどということは私には判定できない。ただ、美しい表現や描写、そして文章のバランスなどからいっても、たどたどしいなどということはなく、とても素直な流れが作られていた。また、ピアノという聴覚に基づく題材を選びながら、視覚的な描写がそこによく馴染んでいて、時に視覚的な表現を音に関して用いるなど、感覚のクロスオーバーが効果的にちりばめられていると私は強く感じた。これが、情景描写を立体的にするし、耳を研ぎ澄まして聴き取る調律師の緊張感と、そこで脳裏に浮かんでいる世界とが伝わってくるような気がした。
 映画化されたからこそ読んだには違いないが、小説をあまり読まない私にとり、よい刺激となった。どろどろしたものを描くでなく、ピュアな世界は、やはりとてもよいものだと感じた。とくに才能がなくても、真摯に世界に向き合い、そこから何かを聴き取ろうとする心があれば、世に振り回されることなく、真っ直ぐに歩いて行くことができるのだ。




Takapan
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