本

『人が集まるチラシの作り方』

ホンとの本

『人が集まるチラシの作り方』
坂田静香
家の光協会
\1200+
2013.11.

 プロのデザインを指導しているのではない。ここには主に、自治体や公的な催しについて、人を集めるケースが多く取り上げられているが、実に素朴なデザインばかりが紹介されている。マイクロソフト社の一般的な文書編集ソフト”Word”を使用して自ら作る案内チラシについて、うまく活かすための知恵を授けている、という主旨である。  そもそもそういう会社を立ち上げている著者であるので、ある意味でこのようにその手の内を明かすことは、自らの仕事を減らすことにもなりかねないのだが、おそらく私はその逆であろうと思う。こうして著名になれば、また評判になれば、より依頼も集まるというものだろう。
 著者も、いわば元素人である。ただパソコンが使え、センスがよかったということなのだろうと思う。ここには、元々自治体の職員が作った案内と、著者またはそのスタッフが作りかえた案内作品とが並べられていることも多いが、たしかにいかにもお役所的な前者に比べると、後者は言いたいことがパンと伝わり、目立つことは確かである。ただ、お世辞にも、洗練されたおしゃれなデザインであるわけではない。イラストも、いかにも素人いう感じで、小さなイラストがちりばめられているなど、”Word”でいろいろ使って作りました、という感じがありありと見える。こういうと傲慢に聞こえるかもしれないが、私もふだんからこうしたものをこしらえているが、感動するようなテクニックは何もない。書いてあることも、何か理論に裏打ちされたものではないようにうかがえる。
 ただ、そこには経験がある。実際に、そのチラシを見て申込者が格段に増えた、人が注目した、という実績がある。人は何も、優れたデザインのチラシに申し込むというものではない。当然、その募集の内容が第一の問題のはずである。著者はそこのところをこの本で強調している。問題は内容なのであって、チラシを改善すれば人がどっと来るものではない、という当たり前のことを繰り返す。しかし、せっかく内容についての需要というか、そのことに関心のある人が一定数いるにも関わらず、情報が伝わっていない、あるいはニーズに届いていない、という事態があるとすれば、それはもったいないことである。企業ならば、コストを無駄にかけていることになるし、公的機関であれば税金を無駄にすることになる。後から、「なんだ、そういう内容であったのならば申し込んだのに、そんな催しだとは気づかなかった」などという意見が多数あることがもったいないのだ。
 著者の視点はそういうところにある。そのチラシに応ずる人が100人ほんとうはいるとする。そのうちのなるべき多数の人に、まずこのチラシの内容を知らせる必要がある。手にとってもらいたい。しかも、手に取ったその瞬間に、その人のニーズと合っているということを感じさせなければならない。「なんかよくわからん」とか「自分の関心と何か違うかな」とか思わせると、そのチラシはもう過去のものに消えていくことになる。
 そこで、まず自治体のチラシがどのように置かれているか、そこから考えられている。A4縦のチラシ立てに並べられているのが通例であるとすれば、その上部に、まず「ん?」と思わせる言葉が必要であるという。その「チラシ立て」という視点は、そういうところに置かれることを前提としない教会の案内を作る私には、手薄なものだった。無意識のうちにそのようにしていたことも多かったが、なるほど、置かれる場所を考えると、どこに強調を置くかということは死活問題である。
 そして、その言葉が、作る側の論理ではなく、受け取る側の論理や感情と結びつくものでなければならないということも尤もである。ニーズに合うのかどうかという意味では、難しい特定の用語などを掲げる必要はなく、「あっ、そういうことよ、それそれ」と思わせる入口が掲げられるべきである。
 このように、チラシを見かけた人の視点、気持ちに寄り添う形でチラシが組み立てられていくのであり、そのためのノウハウを、実例を通して紹介されていく。この本自体が、論理的に秩序だって組み立てられているわけではなく、行きつ戻りついろいろな経験話が続いているという感じがする。これも著者の狙いなのだろう。チラシ作りが、作る側の論理でできるというものではなく、あくまでも受ける側の気持ちに添うという着眼点が何よりも必要であり、それに尽きるのだ。
 美しいデザイン、かつてないデザイン、そういう広告賞的なものを求められているわけではない。数十人の申込みが得られるかどうかという程度の案内である。いわば「ダサい」デザインであろうと、内容がポンと伝わることが第一の要請となる。「こういうことをやりますよ、あなたの興味のある、アレですよ」と声をかけるような印刷物、ここには、洗練さが必要とは限らない。いわば、誘い上手な近所のおばさん(失礼!)の要領である。
 実例は、ある意味でワンパターンなのであるが、実際にこれが置かれていたら、何が言いたいのかはパッと分かる。確かに、誘う側に必要なのは、そういうものなのだ。必要としている人を絞った誘い方も求められているから、欲張った企画は必要ない。そういう意味で、教会の案内物についても、学ぶべき指摘はたくさんあった。感謝したい。




Takapan
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