本

『人が共に生きる条件』

ホンとの本

『人が共に生きる条件』
並木浩一
新教出版社
\1700+
2011.3.

 あたたかなものが流れてくる。だが、それは些か手厳しいものでもある。厳しさの故に知る優しさとでも言うべきだろうか。
 説教・奨励集である。大学で語ったことも含め、弟子とでも言えばよいのか、教え子たちの協力により、ここに「並木旧約学」のひとつの実りがもたらされた。すでに、『人が孤独になるとき』という同様のコンセプトによる本があり、読ませて戴いた。とても心に響いた。その期待から、もうひとつあると聞いて求めた。こちらも、期待以上のものだった。
 旧約聖書の権威である。特にそのヨブ記に関する研究は、日本にこの人以上の人はいないと思われる。それを踏まえてか、ヨブ記を取り上げた説教・奨励はやはり多く収録されている。だが、それがすべてではない。特に、光と闇との関係が明らかにされるものは、二つ続けて別の角度から語られるなど、まとめて読むと、より味わい深く感じられるのは、こうした本ゆえの恵みである。
 ひとつの説教に、新約旧約二箇所から引いてくる場合がいくつかある。加藤常昭氏がよくその良さを語っていたが、私も参考にしている。聖書を立体的に知る機会となりやすいと思うのだ。ヨブ記と新約との関わりは、なるほど深みがある。
 説教とは呼べるものではない、というように最後に並木氏は語っているが、教会の働きと一体化した礼拝の営みということを考えると、そう言う思いも十分伝わってくる。だが、私はやはりこれは優れた説教であると推したい。そしてその感動は、私がここで妙に要約することが邪魔をすると考えた。一日ひとつずつ読んで噛みしめながら眠りに就くというのはどうだろうか。
 本書の特徴のひとつは、解説が長いことである。45頁ほどにわたり、編集委員たちが長々と経緯を語っているのである。並木先生の75歳を記念しての出版を手がけたことには、様々な背景がある。それを教えてもらうことで、いっそうこの人々の交わりとリスペクトの様子が伝わってくる。学術的な研究の意義もそうだし、人柄といったことも明らかにされる。こうした微笑ましい関係をつくっているのは、やはり聖書という世界である。聖書が人をつなぐ。聖書の上に人々が生きている。だからこそ、この人たちの姿の中に「人が共に生きる条件」見るような思いがした。
 そのタイトルになった説教だけは、少しだけ取り上げよう。ヨブ記の専門とは言ったが、本書では創世記からの解き明かしも目立つ。この「人が共に生きる条件」もまた、創世記である。その4章の初めのところからだが、オープニングは、ドストエフスキーの『地下室の手記』である。
 時折、文学作品やある人物について長々と紹介することがあり、気がつくと殆ど全編がそれであったという場合もあるが、聖書を少しばかり知る人ならば、それが聖書を理解するのに極めて有用であったことに気づくことだろう。この場合も比較的長くこの物語を聞かせる。ここには「自尊心にしがみつく根暗な人間」がねちねちと描かれている。それは「人と共に生きる条件がまったく身についていない」と断ずる。ここから、「カインとアベルの物語」を説くのである。私もよく気づいていないようなことに、ここで気づかせて戴いた。従来の安直な解説書にはなかった、優れた文化的視点がある。これは、中東の文化を深く研究している人だからこそなのだろう、とも思う。だが、これは昔話でもなければ、遠い国の出来事なのではない。それは、私たちのことであり、この私のことである。
 しかし、神はカインの命を助ける。ならばアベルを助けるようにはできなかったのか。それを、さも分かったような口調で説くのではなく、私たちが神を信頼するために必要なことを、説教者は告げる。これは私の問題なのだ。聖書や神を俎の上に載せて処理するのではない。
 自らのことだと痛感する者だけが、顔を上げて、神を見ることができる。そこに十字架がある、とまでは説教は言っていないが、そこにつながることが、言外に求められ、また、私たちにも必要なことではないかと、強く思う。
 読者がその意味でアクティブになることが、これらの説教には隠されている。そうでなければ説教とは言えないだろう。だからこそ、やはりこれは優れた説教なのである。




Takapan
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