本

『日の名残り』

ホンとの本

『日の名残り』
カズオ・イシグロ
土屋政雄訳
早川epi文庫
\760+
2001.5.

 ノーベル文学賞受賞が2017年。そのときに、1989年に英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を受賞したこの『日の名残り』がよく紹介された。
 長崎市生まれで幼児期をそこで過ごしたが、幼くして両親が渡英し、英語文化の中で育つ。日本語は皆無とは言えないだろうが、すっかり英語文化圏での人生となっている。両親もいわゆる日本人である。
 しっとりと語られる文章は、英語でもたぶんそうなのだろう。ノーベル賞以前から、カズオ・イシグロの翻訳を多く担っていた土屋政雄氏の日本語が、実にいい。違和感なく流れるように、しかも日本語としても優れた感性を宿しつつ、私たちにイギリスの景色を連れてきてくれる。本当に読みやすくて、海外の翻訳物に時折困惑する私としても、ひたすら拍手するしかない翻訳だと思っている。
 執事の独り語りで物語は進む。そして回想が中心であるため、恐らくタイトルが心地よく響くのであろう。時は1956年、第二次世界大戦が終わった。執事スティーブンスは、新しいアメリカ人の主人に旅を勧められる。ダーリントン卿というかつての主人が亡き後、新たな主人がその屋敷を買い取ったのだという。気質や習慣の異なる主人に少々戸惑いながらも、スティーブンスは、模範的な執事であろうと努める。その姿勢は、物語の最初から最後までブレない。
 屋敷の使用人が減少したことが、執事としての悩みではあったが、それでもなんとかしなければ、と思うほどに真面目ではあった。が、かつて同僚の女中頭であった人から手紙が届き、これはよい機会かもしれない、とその旅によって彼女に会いに行くことになる。その途中で回想が延々と語られ、最後に彼女に会うことで物語は結ばれることになる。
 その彼女は、結婚して退職していたのだが、共に働いていた頃はミス・ケントンと呼ばれ、スティーブンスに何かと食ってかかるようなタイプではあった。スティーブンスは扱いに少々困りながらも、共に屋敷での勤めをこなしていた。
 さあ、このくらいで内容についてはやめておこう。この二人のやりとりや関係というものが、物語でとても大きくなっていくのを、読み進むにつれ、読者は感じるであろう。また、二つの世界大戦をはさんでのヨーロッパの動きというものについて、政治的なにおいが漂うことも感じるだろう。スティーブンスの目の前で、ヨーロッパの運命を左右するような話し合いすら現れるのだ。
 地味と言えば地味である。実直なスティーブンスの見たもの知ったものとしかここには描かれない。背後に何があるのか、全く触れられない。だが、読者はそれぞれの人物の、特にミス・ケントンの視点というものも、きっと気になるに違いない。そして、その意味からしても、真面目すぎるスティーブンスには見えていないものというものが確かにあるのだ、ということにも関心が向くことであろう。
 もう1世紀にもなろうとするような過去の中に、読者が見出すものは何であろうか。さすがに日本人として郷愁を覚えるような世界ではないが、それでも何かしら古き時代の人と人との関係や、接し方というものの中に、いま私たちが見失っているものを思い出すことがあるかもしれない。情報が飛び交う現代とは違い、ほわっとそこに漂い、留まる空気のようなものに包まれないだろうか。
 文学はいい。別の世界を体験させてくれる。自分にとり心地よい世界が見つかったら、どっぷりと身を寄せて、しばし自分の措かれた場所を忘れて、その夢に浸ったらいい。そうした文学に出会うということは、なかなか幸福なことである。本作品は、英語でなくても、優れた翻訳によって、そうした幸福感を、多くの人に与えることができるようになった、うれしい作品であると思う。何も事件がないのに、たくさんの経験をしたような気持ちにさえなるのだから、しばしの時間旅行をするにも、ありがたい作品であった。




Takapan
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