本

『いのちのひまわり

ホンとの本

『いのちのひまわり』
綾野まさる・作
松本恭子・画
ハート出版
\1260
2005.5

 阪神淡路大震災は、多くの命を奪い、家や財産、その他はかりしれないほどの事柄を奪った。
 1995年1月17日のことを、経験した者は忘れることができない。
 災害は、幼い子どもの命も容赦なくさらっていく。むしろ、体力のない子どもが先に息絶えるというケースも多かったことだろう。子どもを亡くした親の気持ちそのものは理解できないかもしれないが、それがどんなにか辛いものだろうかということは、わずかな想像力だけでも感じ取れるものであろう。
 はるかちゃん。当時小学六年生の、快活な女の子も、この地震で亡くなった。三つ年上のお姉ちゃん、いつかさんが、この本を語る主役である。いや、いつかさん自身、この本の内容のことを、各地で語り伝えているご本人なのである。
 家屋に押し潰されて亡くなったはるかちゃん。その場所に、翌夏、ひまわりの花が咲いた。うどん屋のおっちゃんがそれを見つけ、きっとはるかちゃんの生まれ変わりなのだと感じる。そのひまわりの種を、神戸復興の希望あるいは神戸で亡くなった人々の魂の記憶として、広めようとする――ひまわりが、そのシンボルとなっていくのである。
 しかし、肝腎の両親は、このひまわりのことに耳を貸さない。二人の両親は、子どもを亡くしたこと、子どもを守ってやれなかったということで、自分を責め、あるいは自暴自棄のようにさえなり、家族は崩壊状態になる。それをひしひしと受け止めて育ったのが、姉のいつかさんである。自分がここにいるのに、どうしてそれを蔑ろにして、立ち上がろうとさえしないのか。何年たっても、暗く閉じこもったままでいて、はるかだってうれしいはずはないのではないか。
 お姉さんの悩みは、家を出るというところにまで辿り着く。だが、うどん屋のおっちゃんをはじめとする、ひまわりに望みを託す人々の働きが、ついにこの家族をひまわりの中心に戻していく。
 希望を花に見出すというのは、アンネ・フランクの例にあるように、ままあることである。だが、このように当の家族が受け容れられないままに町の人々がそれを広め、ようやく最後に家族が、という経緯になるのは珍しいのではないか。
 2001年、震災から6年目の神戸の復興イベントのシンボルに、この「はるかちゃんのひまわり」が選ばれた。今も、各地にこのひまわりの種が広がっている。
 物語そのものは、時間構造が前後することが多く、やや読みにくいところもあるが、心に響く話であることには変わりがなく、電車で読む私の目も、潤んでしまうことが度々あった。
 災害の中にある人もそうだが、家族のつながりを失っている人々にも、一読して戴きたいと思う本である。




Takapan
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