本

『暇つぶしの時代――さよなら競争社会』

ホンとの本

『暇つぶしの時代』
さよなら競争社会
橘川幸夫
平凡社
\1,600
2003.7

もうひとつ、つかみ所のない論理の本だった。いや、論理で攻めようとするのでなく、多分に単純に、経済状況を、筆者の意見や立場に応じてコメントしている、といったふうに理解すべきなのだろう。
 僕たちが獲得したものは、「暇」であり、喪失したものは「ハングリー精神」である。筆者はまずそう断言する。もう忙しいフリをする時代は過ぎ、自分で納得した時間を過ごしていくようになっている。だから、相手の気持ちや周囲の雰囲気を見渡しながら生きていける「余裕」を得た。そこから未来が創られていく。ハングリー精神ではなく、暇つぶしこそ重要だ――というところから、この本の題名が結びついてくる。
 基本的に、経済の本である。と同時に、社会学でもある。それでいて、諸外国の学者の説を注釈に加えながら論じたわけでもなく、わが企業の経験だけを頼りに成功の秘訣を豪語する社長の自慢話でもない。著者は、マーケティング調査をし、企業コンサルティングを行う仕事。
 たとえば、つくるという仕事が、文化をつくり輸出し、人作りなど、ソフト面での目標もできてきていると語る。世界の中での日本の役割や、団塊の世代に何か問題があるとにらみつつ、そこから新しい産業構造を見いだしていくべきだと筆者は力説する。自分の人生がそのまま仕事だと言わんばかりの働き方をマスターして……。
 仕事が自分の時間として意識されていくことは可能なのだろうか。欧米ではそれらが峻別されていてビジネスとプライベートが別だが、日本はそれらがオーバーラップする面が強いようだ。自分の時間を生きる者が「子ども」であり、社会の時間を生きる者が「大人」である、と説明されるが、大人であっても、仕事の中に自分の時間を獲得していくことはできる、いやそうなってゆく、と時代を睨む。社会として定年を迎えつつある日本の現状に合わせて鑑みて、これまでの豊かな社会への目標が、ダイナミックに変更されるのでなければならない、と言っている。
 マーケティング調査の経験からのこぼれ話も面白い。具体的な、百均の新製品開発と生産の話や、大学の講義の最中でも私語を気にせぬ若者のことには、つい引き込まれていく。
 私が個人的に好んだ箇所は、「見る・見られる社会」という項目。「情報化社会とは、さまざまな情報が入手できるのと同時に、自分自身も情報化されていく社会である」という命題で始まる。都会へ出て世間を観察するということは、出ていった自分自身もまた見られているということにほかならない。インターネットも、自分が世界を垣間見ているということは、サーバーが存在する限り、自分もまた監視されているということを否定できない。ICタグが出版界で導入される方向で検討されているという。一冊一冊にいわばアドレス情報が与えられるゆえ、正規購入されていない本であることが証拠立てられる。万引き防止の一策なのだという。住民基本台帳コードもまた、このパラダイムの一環である。私は、「見られる」ことを自覚することが、成熟の第一歩だと考えている。世間には、あまりにも「見られる」ことを知らない行為が多い……。
 著者は、農業社会という土台の上に、工業社会が成り立ち、その上に、さらに成熟化した工業社会が望まれる、というベースから、この本を展開している。なかなか「おとな」になれないのが人間というものなのかもしれない。




Takapan
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