本

『ひきこもる若者たち』

ホンとの本

『ひきこもる若者たち』
町沢静夫
大和書房
\1,500
2003.11

 流行語みたいに扱われてしまう「ひきこもり」。しかしこの日本語がそのまま、欧米に通じるほど、日本独特の現象でありしかも無視することのできないものとして、世界に紹介されつつあるのだという。
 著者は精神科医。そのスタンスから語られるから、現象としての「ひきこもり」の中に、病理的なものとそうでないものとを区別しようとしている点は、理解できる。だがやはり精神科医なのであるから、患者のケースをすべて何の病気かという視点で分類しようとしているので、それでいいのかという気もする。
 精神科医ではあっても教育者ではないのだから、かなり冷徹に分析する。そして精神疾患の治療と重ね合わせて、どう扱うべきかを指導していく。
 それが悪いわけではない。
 だが、それでいいのかという気が、しないでもない。この本は、ますます、現実にひきこもってしまった人を、おまえは病気だ、という次元の世界へ引きずり出すことになりはしないだろうか、と懸念するのだ。この本を読んだ一般の人は、ひきこもった人のことを知るや、あれは精神病なのだと考えることになるだろう。そして、そういう眼差しで当人やその家族を見つめることになるだろう。親の過保護がそうさせるというふうに何度も説明しているので、ひきこもりの親は過保護だというレッテルを、二度と剥がせないように強く貼り付ける作用を、この本は有している。あるいは、意図しているように見える。さらに、当人や家族もまた、精神疾患だという宣告を受けて、重い足取りで帰宅しなければならなくなる。
 ただし、ケーススタディとして、具体的な状況の中で過ごしたひきこもりの人の例を挙げられることによって、私たちは、自分としては通常体験できないような事柄を、よく知ることができるようになる。こんなことがあるのか、と。ただ、できるなら、すべてを精神医学者の眼差しで捉えなければならない、という思いこみからは、解放されたほうがよいだろう。こういう気質だとか、将来こうなるに違いないだとかいう表現に惑わされてしまうと、多分に自分が差別を生産したり、患者を絶望へ追いやることになるかもしれないので、注意しなければならないだろう。
 それにしても、「ひきこもり」は多い。コミュニケーションがとれないという無器用さは、あまり好意的に受け取られてはならないことのように見える。心を閉ざして、ひきこもっている子は、私たちが予想した以上に多いのだ。
 自分の居場所が、とじこもった自分の部屋のほかにもきっとあるのだ、という形へ、自分の思いこみが発展的解消を遂げるとよいのではないかと思う。




Takapan
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