本

『日々憶測』

ホンとの本

『日々憶測』
ヨシタケシンスケ
光村図書
\1600+
2022.12.

 絵本と言えば絵本であるのだが、子ども向けではない。これは大人のための絵本である。人生の様々なことを経験してきた大人だからこそ、しみじみと分かることが並んでいる。何気ない風景に、「ふと」何かを見出すときがあったら、ここに書かれてある風景は、多くのものに肯いてしまうことであろう。
 そう、この本は「ふと」という副詞が、実によく似合う本なのだ。
 冒頭に、一応その定義らしいものが書かれている。それは頭の中のループなのであるが、「見る」→「憶測」→「そんなわけないか」→「て、というかアレ何だろう」→「見る」→……という具合である。しかもその外で、消費するものとして「脳内のエネルギー」と「人生の残り時間」が及んでいる。そして、無関係なものとして、「生産性」「利他生」「向上心」とが別個に挙げられている。確かに、こうしたものと「憶測」とは関係がないだろう。
 しかし、この抽象的な図式は、次の頁をめくったときから、私たちは忘れてしまう。そこには、比較にならないくらい複雑な、思考パターンの図式があるのだ。これを辿ることは、不可能である。
 「この本は、私の憶測と、あちこちで描いた小さいお話をよせあつめて、一冊にまとめたものになります」という説明で十分だろう。意外と真面目に「憶測」という言葉の意味について考察もしているのだが、ともあれこれはヨシタケシンスケ氏の本である。理屈は抜きにして、一つひとつのエピソードを楽しんでゆけばよいと思う。  1頁一話というふうに、短いコントのようなものが続くと思えば、あるところから突如作者の現実が描かれ、話のネタ探しをしている場面が出てくる。そして思いついたその話が、数頁にわたって現れるということがある。「生涯で5回も貝にはさまれた男の話」は、さほど面白いものではないが、人生のペーソスを感じさせる。
 そう、ヨシタケシンスケ氏の物語には、しばしば「死」が潜んでいる。人生の終わりはどうするか、という点について、妙な恐怖というものは感じていないように見えるのだが、そこを見つめることを忘れていない生き方というものが溢れてくるのだ。この貝の話にしてもそうである。
 そうして「手紙」をテーマに何か描いてください、と頼まれたときの作品だという「手紙」という題の物語に私は出会った。これは本書の中でも秀逸なものであると思う。あまりに秀逸であるために、ここで全部晒してしまうことは控えなければならないが、それでは何がどうよかったのか伝わらないので、ざっくり途中までをお話ししてみようかと思う。
 そうじをしていたら、小さい頃の自分が描いた手紙が出てきた。「未来のボクにあてた手紙」である。大人になった自分について、子どもなりに心配をしていた内容だったという。それが嬉しくて、今度は、小さい頃の自分に向けて返事を書く。「でもコレ、どうやって渡せばいいんだろうか」との悩みを抱き、庭の木の根元にそれを瓶に入れて埋めようとした。すると、そこから手紙の入った瓶を発見する――。さて、何が出てきたのか。実はこの手紙に、何日も何日も思い悩むことになるのである。
 それから、心に残ったという意味では、「何かの力」という一頁があった。公園でお父さんにブランコを押してもらっていた小さな子の姿を見たとき、ヨシタケ氏は「ふと」思う。大人だって、何か見えないブランコにのっているのかもしれないな、と。「だとしたら、私は誰に、何に背中を押してもらっているのだろう」と。これは深い。そこに信仰の神髄があるとも言えるのである。
 そう気がつくと、信仰というのは、この「憶測」がひとつ固まった姿であるのかもしれない、と「ふと」思った。作者は「おわりに」で記している。「憶測は緩衝材のようなものでもあって、ほどよい量の憶測を身にまとっていると、きびしい現実から身を守ってくれることもあります。」但し、それがいきすぎると現実が分からなくなることもあることには、気をつけておくべきだともいう。そして作者は、「人生の最後にする憶測とは何だろう」ということを考え始める。その答えは、まだこれから探すつもりらしい。
 本の発行についての情報が並ぶ最後の頁を開いて、私は、とてもうれしい気持ちで本を閉じることができた。そこには、あの「何かの力」の最後のイラストが掲げられていたのだ。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります