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『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 平家物語』

ホンとの本

『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 平家物語』
角川書店編
角川ソフィア文庫
\667+
2001.9.

 もともと角川文庫からは、日本の古典の定評ある原典が多く出版されていた。だが、専門家ならともかく、古典そのものに手を出しにくい世情となってきた。恐らく売上げがよろしくなかったのだろう。しかし、読者としては古典に関心がないわけではないと踏んだのだろう。どうにかして、古典にとっつきやすく、またそのニーズをくすぐるごとく購買欲を駆り立てることはできないか。私はそんなふうな考えでこのビギナーズ・クラシックスができたのではないかと想像する。
 何冊か手にしたが、この「平家物語」は、これまで私が見てきた他のものとは趣が違った。原文よりも訳のほうを優先され、原文も参考程度に後に置くというやり方が大きく変わったわけではないが、古典文化の背景についての多くの説明が、ここではずいぶんと少なくなっているのだ。また、原文を擁しない形でストーリーが短く細かく展開されていくのも、少し違うような気がした。
 思うに、平家物語そのものは、いまの私たちにもそこそこ伝わりやすい文献あるいは物語なのではないか。また、戦記物である以上、戦況があまりに吹っ飛ぶと、ストーリーが終えなくなる。そのため、ちょこちょこと間をつなぐ場面の紹介が必要になるのではないか。
 勝手な想像だが、そういうふうに受け取ると、この平家物語は、なかなかのダイジェスト版と言えそうな気がしてくるのである。「はじめに」でも、「特別な知識や態度を準備することなく、『平家物語』の世界を自分の日常に置き換えることができるのです」とまず記している。必ずしも、編集の面倒さからの言い訳などではないと考えたい。
 もともと謎の多い書ではある。誰がどのように書いたのか、伝説はあるが果たしてどうかというところでもある。しかし、人々に受け容れられ、こうして立派な古典として遺っている。語り調子もてきぱきとしており、琵琶法師によるライブがあったというのも肯ける。そして日本人の心情の形成に大きな役割を果たしたものと言えよう。平家の驕りを糾弾するような、政治的立場の視点があるのは仕方がないが、源氏内部での諍いや熾烈な争い、また人間くさい感情のもつれなども描かれており、史実とどう関係があるのかは私の知る由のないところだが、実に興味深く描かれていることは間違いない。
 九州から高速道路で本州に出て帰るときに、壇之浦PAに立ち寄る。関門大橋の下は非常に狭い陸と陸との狭間である。流れも急であろう。ここに平家滅亡の時が刻まれたことを思うと、複雑な思いになる。貴族政治が崩れたときに、皇族や貴族は、平家打倒のために、源氏を操ったつもりであったかもしれない。だが源氏は一枚上だった。歴史上なかったような方法を以て政治を司るように躍り上がったのだ。平家物語は、決して源氏の物語ではなかった。もちろん、別の意味での「源氏物語」が存在した影響があるのかもしれないが、この物語は滅び行く平家の物語である。それは、確かに平家を批判している。しかし、果たしてそれだけなのか。諸行無常という冒頭の言葉は、平家にざまあみろと投げかけたようには思えない。
 これは歴史そのものではないかもしれない。幾多の有名な合戦の描写は、厳密に史実であったかどうかは疑問でもあろう。しかし、八百年余の時を超えて、かの無念な武士の姿や、その道徳観なども、私たちはいま手許にあるかのように考えることができる。幼い天皇の入水のシーンも胸に響くし、三種の神器の一部の喪失は、十戒の石板の喪失を思い起こさせるくらいの重みをもつ。私たちは、歴史から学ぶことがたくさんある。そうでないと、本当にまた同じ過ちを繰り返してしまうであろう。ただでさえ、新しい過ちをつくりだしていくのが人間であるというのに。
 そんな、人間とは何か、と問うためにも、古典文学は、尊い。自分を形成する何かを経験することができるであろうからである。




Takapan
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