本

『ヘブライ人への手紙 私訳と解説』

ホンとの本

『ヘブライ人への手紙 私訳と解説』
宮平望
新教出版社
\2200+
2014.8.

 私訳と解説というシリーズが出ているようだ。西南学院大学の国際文化学部で、キリスト教関係のほか、アメリカ思想を担当している著者であり、著作も多いが、このシリーズは新約聖書各巻に及びなかなかのラインナップとなる。私は個人的に、ヘブライ人への手紙がよく分からなかったので、本書を選んだ。
 これは逐語の注釈である。一文一文を掲げ、その一つひとつの言葉を釈していく。ギリシア語ではこの語が使われており、その意味はこうである、という調子で、いわば一本調子であって、解釈の味わいというものはあまり感じられない。つまりは、ギリシア語の行間聖書(interlinear Bible)を日本語にするのに近い感覚がある。しかし時に、他の個所との関連や、新約神学全体に関わるような理解を説明する部分もあり、要所において少しばかり俯瞰するようなこともできるので、読み物として必ずしも退屈はしない。
 ギリシア語については、すべてカタカナであり、ローマ字置き換えすらしていないので、ギリシア語についての知識がまるでなくても、ギリシア語の意味合いを知ることができるのは、私には物足りないけれども、逆にすべての人に開かれた説明となっていると言えるだろう。たとえば、「慰める(パラカレオー)」とは、「傍らに(パラ)」「呼び寄せる(カレオー)」(直訳)ようにして慰めること、というような具合である。それも、同じ語がその語の原文に何度も出てくる場合、そのすべての箇所で同様の説明を施すという親切具合である。つまり、突然ある箇所を開いて調べたとしても、何も困らないのである。通読していくと、ああまたか、と思えるのであるが、辞典のように用いるならば、これほど親切なことはない。そして、通読していくと、いいかげん覚えてしまうのも事実である。繰り返しの学習というものの意義を痛切に感じる。
 英語の何々の語は、このギリシア語に由来している、と述べる時もあり、たぶん学生などには重宝するのではないだろうか。もちろん、少しでもギリシア語を見たことがあれば常識的なことであるのだが、役立つ知識であるには違いない。ギリシア語についての一定の知識はこれで増すかもしれないし、これを通じて、ギリシア文字へ学習を移すとよいのではないかと思う。
 ところで肝腎のヘブライ書についての理解であるが、あまりにも細切れに綴られているので、結局のところ全体像は読者が自分で築かないといけないようになっている。ただ、幾度も繰り返し出てくる語の解説を通して、ヘブライ書の記者が何を思って綴っているのかは、知らず識らずの間にそのワールドに入り込み、とけ込めたような気はする。また実際、なるほどそういう意味だったのか、と教えられることも多々あった。確かに役立ったのである。だから、確かにヘブライ書をこれで精読したことになろうかと思う。私はノートしながらちまちまと読んで行ったが、確かに読み急がずに、ゆっくりとつきあっていくほうがよいのではないか、と私は勝手に思っている。




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