本

『心とコンピュータ』

ホンとの本

『心とコンピュータ』
吉成真由美・利根川進・北野宏明・松本元・養老孟司
ジャストシステム
\1553+
1995.4

 ある牧師が講座で紹介した本である。コンピュータ関係で20年も昔の本となると、もう全く今の時代には通用しないというのが常識であろう。だから、ここで扱われている内容が今適用できるかどうかというと、難しいところがある。すでにAIの実用化が始まっており、過去この時に描かれた未来予想図が現実となっていたり、あるいは違う方向で展開していたりという状況ではないかと思われる。
 しかし、いくらAIだなどと言っても、そこに人間の心をのせるということは、期待できない。少なくともそれは人間ではないのだから。古くから人間機械論もあったが、どうやらメカニカルな面で心を解明するということは、いろいろ挑戦されてきたにも拘わらず、見通しは明るくない。しかしできないならできないで、何故できないのか、は問われるだろうし、そもそも心とは何であろうかという哲学的な問いは依然として残されていると考えざるをえない。
 本書は、高校生の集いのための原稿である。つまり一般的に出版されるようになった経緯というのも、これが高校生に語られた内容だというところに拠るのではないかと思う。コンピュータの専門職のための本ではない。また、ノーベル賞級の脳科学者のための本でもない。大人ならば大抵そのまま手にとって差し支えないという前提があるのだ。
 そこへ、5人の発表者。蒼々たるメンバーである。まさにノーベル賞受賞者もいるわけで、内容はただごとではない。しかしその人物はともかくとして、基本的なことを伝えようとしてくれるこれらの原稿はありがたいと思うし、どうせ素人の私などにとっては、この20年前の高校生向けの説明当たりがぴったりくるのだ。ただ、その内容は当時ではあるにしても間違いないものであるし、中には永遠の問題もあるものと思われる。解説の仕方も実に分かりやすく要領を得ている。もしかすると、メカニカルな説明がいまはもう使われていない方法などがあるかもしれない、という程度の問題であろう。
 四番目の「脳・心・コンピュータ」が、個人的には、そしてその紹介した牧師にとっても、意義深かった。そこには聖書が紹介されているからである。
 解説は、時間意識や人間がコンピュータにむしろ合わせているという実態から、記憶とは何かという解釈を脳のしくみから説き明かすようになっていく。そして、人間の性格やカウンセリングの意味について触れると、情報を価値づける脳のシステムの解明に入る。そこから、苦しみの体験とその感情の共有などを絡めつつ、人の意欲の発生を援助する方に話が向かう。こうした情報を取り入れ合い、また共有することにより、人と人との関係が、すなわち愛が生まれるという。ここから、宗教の問題に入るのである。愛によってこそ、人は生きることができる、というのだ。創世記の人の創造から、ヨハネ8章の赦しの問題にも触れ、人は自分の記憶する情報の価値をから外部のものを判断し傲慢になる、すなわち罪の状態になるのだとする。果たして罪が、わがままや傲慢のことであると即断してよいのかどうかは別として、聖書からこれだけのことを引いてくるというのは驚きである。そして、自分は変わらずしてひとに変わってほしいと望みがちな私たちが、自分を変えるチャンスであるとして、困難や苦しみを評価するのである。私たちの欲望を叶える方向で進む商業主義の中で、大切なものを見失っているのではないか、という批評は、傾聴に値するものだと感じた。
 クリスチャンなら、この松本元氏のところだけでも、機会があれば覗いてみるとどうだろうか。




Takapan
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