本

『春の嵐』

ホンとの本

『春の嵐』
ヘルマン・ヘッセ
高橋健二訳
新潮文庫
\520+
1950.12.

 この文庫価格は、2018年発行の第92刷のものである。この書評モドキのコーナーでは、このように、価格は私が入手したときの価格だが、発行年月は、その本の体裁で最初に発行されたときの記録となる。価格は流動的だから、およそこのくらいの価格で入手できるかも、という期待を意味し、また、発行月日は、いつの時代からこの本が読まれ始めたのか、という時間軸を提供してくれる。
 高橋健二さんがもちろん存命のときの発行だが、この訳者は直にヘッセと交友があった。ヘッセは東洋の思想に惹かれ、仏教や儒教などにも深い知識をもっている。若いところには神学を学んだとは思うが、東洋思想を知るにつれ、それがキリスト教やドイツの文化にはないものをもっている、ということで惹かれていたようだ。それで日本人の訳については、ヘッセ自身が賛辞を送るようなことをしている場合もあるし、ヘッセ自身がたいそう日本を気に入っていたというのもあって、強い信頼を寄せているということだ。
 それで本書の「解説」が最後にあるのだが、15頁にわたるその解説は、ヘッセとの交流に基づく人となりやエピソードばかりが沢山書かれており、最後になって思い出したかのように、本作品の内容についての解説は、最後にようやく3行登場し、続く2行で音楽用語についての謝意、最後の3行で翻訳出版への感謝と改訳についての報告を入れている。つまり本作品の解説には全くなっていない。
 しかしヘッセの作品の中でもまとまりのよいものだという評価がそこにあり、それは読後感にも一致する。終盤急ぎ足気味になるものの、主人公の淡々とした観察と、時に情熱的になろうとする傾向と、そして身を引く生き方など、心の状態をよく伝える物語であった、ということは言えるだろう。ヘッセの日本人贔屓がいつ頃からあったのかなどもよく知らないが、こうした人物像は、まるで日本人のような、遠慮の美学のようなものを感じさせる。
 物語は、一人称であり続けるクーンが、事故で、歩行困難な身体障害者となるところから本格的に始まるようになったと言える。音楽に目覚め、作曲の道に進む。後に、ムオトという男性歌手と知り合い、親友となる。
 生涯を負ったクーンは、女性に対してもう事故前のように気楽に声をかけられるわけにはゆかなくなっていた。ただ、歌の上手いゲルトルートという女性とは、音楽における交わりの中で、心燃やすものがあった。
 クーンはその情熱を伝えるが、さて、ゲルトルートは……というくらいまでなら、紹介してもよろしいだろうか。
 なんとももどかしい展開であるし、もっとできることがあるんじゃないか、などと野次を飛ばしたくなることもないわけではなかったが、これは今でもなお、身体障害者となったときに、積極的になれないということは、当時のヨーロッパでもありがちなことだったのだろうと思われる。
 いろいろな人との出会いがあり、関係性ができていく。ムオトは決して善人ではなく、いわば酷い奴だった。それでも、クーンは唯一自分を出せる相手がムオトであることに気づかされていく。それでも、ムオトに対しては言えないことがあったのだ。
 もどかしさの中に、急ピッチで事が進展する終盤に驚かされるが、クーンの淡々とした世への観察と自己への沈潜とが、最後まで貫かれる。人生を達観したわけではないのだが、時折人生観を正面から語るような場面が多々ある。また、聖書が幸福をもたらすのではなく、東洋的思想をそこに必要とするような場面もあることなど、ヘッセの宗教に対する考え方が現れてくるところにも、注目したいと思う。
 これを書いたときのヘッセは33歳。まだ若い。だがまだ若いからこそ、若い魂の自信のなさやほのかに甘い体験など、近い実感をもって描くことができたのかもしれない。随所に現れる人生論をも、愉しんで読むというのはどうだろう。わたしはそのつもりで、目立たないラインをずっと引きながら読み進んでいた。




Takapan
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