本

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』

ホンとの本

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
河合隼雄・村上春樹
新潮文庫
\438+
1999.1.

 河合隼雄氏が2007年に亡くなった後、作家の村上春樹氏は、追悼の文章を著している。その背景に、この対談があった、とも言えるが、なにも仕事のために対談をしたというよりも、実際に深い交流があったものと思われる。
 ここにあるのは深い話である。しかし、文学の業界の話をしているわけではない。また、心理学の専門の話をしているのでもない。それぞれあまりに専門的で特殊なことをぶつけ合うわけにはゆかない、それが異業種間の対話である。これが、実は他の人々にとってはとても聴きやすい。相手に分かるように話すという姿勢が、読者にも満遍なく行き渡ると考えられるからである。
 しかし、互いに心の深いところで交わりをもつスペシャリスト同士の話である。分かりやすい言葉のようでも、本質的な鋭い点に触れるはずである。そして、現代社会の問題を、互いの立場から覗き込みながら、案じたり、また提言したりしていくことになる。文庫の三年ほど前に、岩波書店から単行本として出ているから、私が本書を初めて読んだのは、もう四半世紀ほど時を経てのことになるわけだが、決して古びた内容だという気はしなかった。むしろいまも引き継がれ、あるいはさらに深刻になったような、それでいて普遍的なものをちゃんと含んだ、読み応えのあるものとなっていたと感じる。
 当時は、阪神淡路大震災が大きな関心を呼んだ時期であった。村上春樹氏はその地域の人間である。また、同時にオウム真理教の起こした事件があった。これらは彼の文学作品の中にも多大な影響を与えている。また、彼は文学者を夢見て修行したというようなタイプではなく、翻訳は好きであったが小説は何の計画もなくなんとなく書いてみたら受賞したというところから始まっている。むしろそこから、文学とは何だろうかということを自分なりに問いながら、またスタートからアメリカナイズされたものを意識してはいたが、事実アメリカに住んでそこからまた日本を考えるなどもしている。外から見た日本という視点をも有していたのである。その中で自身が「物語る」という営みを続けてきたことで、果たしてそれは何であろうかということも問い直しながら、作品を生みだしているのであった。
 この村上作品の中に、心理学的にも非常に肯けるもの、また心理学者がなかなか突っ込めないところまで描いていると喜ぶのが河合隼雄氏。物事の観点に共通点があるということで、話が弾む。普通対談では聞き役だという河合氏が、けっこう冗舌になったということが感想に書かれていた。楽しかったのだろう。
 心に留まったいくつかだけピックアップする。
 日本では個性を大事にしようなどと学校で言うが、それに皆が賛同すること、そういう声に皆が一体になってしまう、これは個人が分かりにくいこととなってしまっていることではないのか。
 日本で個人を考えるには、漠然としたかたまりとして歴史を見るのではなくて、歴史という縦の糸をたどることが必要なのではないか。
 個人としては人は病んでいる。その病みを少し越えて、時代の病い・文化の病いというものを引き受けることにより、その人の表現が普遍性をもつようになる。
 結ぶ力をもつのが物語。現代人は一回分けてから結びつけるが、物語はそもそもが分かれていないままに成り立っていたのではないか。物語と現実とが分かれていなかったのだ。だが西洋の場合、キリスト教文化圏において、神と人とを結ぶものとしての聖書が他の物語を許さなかった。それで物語ができにくくなっていた。できたのはルネサンス以後だ。
 人間の病いの最たるものは、自分が死ぬということを知っていること。それが人生観の中にあるということが、病いということだ。これをなるべく考えないで生きるようになったのが、原題という珍しい時代だ。
 歴史の中に暴力があることを見つめていかなければいけないように変わってきた。なかなか言語化できないが、深く病んでいる人は世界の病を病んでいるように感じる。私たちは個人からそれを発信せざるをえないけれども。
 こうした病を癒すものとして物語はとても大切なことだ。各自が自分の責任において、自分の物語を創り出していかなくてはならないだろう。
 こうして附箋を付けたところを拾うと、不思議と一筋のつながったものが流れていることが分かる。それは、この対談が、確かに一筋の流れを有していたということであり、私たち読者はその一つのことを確実に掴むことが求められているということでもあるだろう。私たちは四半世紀後、この病いを克服していると言えるのだろうか。物語を紡いでいるのだろうか。問いかけられている。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります