本

『博学博多 ふくおか深発見』

ホンとの本

『博学博多 ふくおか深発見』
西日本新聞社
\1890
2007.6

 西日本新聞社は、福岡の地元新聞である。福岡新聞とでも名がついていれば分かりやすいのだろうが、他地域の方が聞けば、どこの新聞だろうと思うかもしれない。複数県に及ぶブロック紙の一つで、協力関係を結んでいる産経新聞との関係で報道はフジ系列であるが、新聞としての主義主張は、産経新聞とは反対である。
 さて、その西日本新聞上に、博多についての取材が連載されていた。この十年間のその連載をまとめたもので、その意味でも内容は重厚である。なにしろ、地元博多に関するあらゆることが網羅されているのであるから。
 博多人として、知っておかなければならないこと、知っておきたいことが、見開き簡潔にまとめられている。写真グラフも豊富で、ひとまず博多の百科のような出来である。これは博多に住む者としては、家に置いておきたいとぜひ思う一冊である。
 博多に住む以上は、直接体験がなくても、あああの店か、と思ってしかるべき店や商品、当然踏まえてそれを一つの誇りのようにして生活している歴史などがふんだんに紹介されている。知っているはずのことに、訂正を加えたり、蘊蓄を増したりするのにも役立つ。
 なにしろ、博多の歴史は古い。魏志倭人伝の時代から歴史に名を刻み、それ以前の歴史においても遺跡が多々発見されている。ともすれば平安京や関東に政治の中心を見るばかりの歴史観をもちやすいが、古来頑とした日本の土台を築き保ち続けた、海外との接点でもある博多なのだ。今は芸能人を多く産出することでも有名だが、傑出した人物も多く現れている。その人物の紹介もこの本には豊富である。
 伝統芸能、風物や伝説にも気を配り、いくつかの施設の歴史も紹介されている。まことに、地元に住む者として、愛着の湧く一冊として出来上がっている。
 最近、子どもたちと話していて気づくことだが、博多弁が廃れてきている。もちろん、私たちの世代も、その前の世代からすれば、博多弁を知らない、と言われた世代である。それがますます、標準語に薄められ、日常的な生活単語でさえ、消えゆく運命にあるように見受けられる。200頁を開いて、学びたい。これをまた、子どもたちに伝えたい。言葉は、ものを考える道具であり、思考そのものである。博多の人間は真面目であり、中央へ出てもその真面目さが通用するために、活躍する者が多かった。その博多の考え方は、中央に翻弄されながらも、どこかで本筋を通そうとする頑固さも持ち合わせていた。それはまた、言葉がそうさせていたというふうに言えるかもしれない。
 博多を愛する人、また誰かに愛してほしいと思う人。この本は、手近な一冊である。何か分からないときに、開くと頼りになる一冊である。
 注文をつけるとすれば、やはり索引だろうか。目次を見れば項目は分かりやすいけれども、ただ読むのではなく、使うという意識からすると、索引は設けてほしかった。




Takapan
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