本

『背後にある思考』

ホンとの本

『背後にある思考』
野田正彰
みすず書房
\2,600
2003.8

 まだ、日本にも「良心」があった。
 それは私の正直な感想である。こんな良心がこの国にあったことを私は喜びたいし、神に感謝したい。精神医学を専門とし、これまでも様々な話題作を提供してきた。その著者が、事件や世情について語った文章の集まりである。それが、誠実であるゆえに敬意を表したい。
 たしかに、日本の戦争責任を追及する筆者の態度は強く頑なで、巻末近くにあるように、右翼から盛んに脅しがくるというのもそうだろうと思う。そのうえ、暴力に屈せず態度を貫くという、なかなかできないことを成し遂げている。それだけでも、頭が下がる思いである。
 この本は、信濃毎日新聞に3年半にわたって連載された「今日の視覚」というコラムを編集したものである。その時々の話題を、しかも、過熱報道がなくなり人々がそのことを忘れかけてしまうようなころに、鋭い分析と指摘をなすというやり方で通している。そう、それなのだ。タイトルの如く「背後にある思考」とは、話題に熱が入り皆が口々に挨拶代わりに語り、あたりさわりのない意見でそこにいる人同士のコミュニケーションを滑らかにするために用いられるような性質のものではなく、あくまでもその問題の根底にあるのは何か、背後に隠されている潜在意識のようなものはこれだ、と見抜く、あるいは見抜こうとする考え方にほかならない。いわば、哲学である。
 テロ問題にしても、拉致問題にしても、私はこの著者の姿勢こそ、知識人のなすべき仕事であると断言する。表向き調子を合わせるために烏合の衆となって、大勢に乗じるようなことをするのが、知識人ではない。
 私は偶然、「第二の拉致」を読んだことがある。私がこの言葉で「つぶやき」を語った後、なにげなく同じ言葉が他でも使われているのかしらと検索したところ、ひっかかってきたのである。そこで、私と同じ視覚で見ている人がいるということで共感を覚えたことがある。しかも少しばかり本も読んだことのある野田正彰氏である。そのときにはさして気に留めなかったが、この人はこんなにも誠実に物事を考え、実践していたのである。
 精神医学専門である。かの2000年に連続した少年犯罪にも、痛みを覚えるほどの思いから分析を施す。精神医療への配慮なしに、法律問題だけが先走る言論界に対して、人間を大切にしているのかと叫ぶ。精神科学という、私などには及びもつかない大切な役割を果たす場所で発言しながら、どこかそのスタンスに、共通点を感じるなどと言えば傲慢だろうか。私は、うなずくことばかりで、この本を終えてきた。
 それは、私が左翼だとかいう意味のことでもない。たぶんこの人も、左翼などではない。誠実なだけだ。人の機嫌をとり、顔色をうかがいながら、自分で考えるということをせずに人の考えに乗っていくだけのような生き方が、たいへん危険であることに警鐘を鳴らしているのである。
 教員の問題にも及ぶ。戦争の問題を授業で展開した教師が、突然配置転換を言い渡され、意味のない研修に押し込められては、強制されたレポートを意味なく何度も書き直させる。そういって何年も窮地に追い込んで、自ら退職するように仕向けようとする。それが教育委員会のすることだと、幾つかの実例をもって暴く。医師会もそうだが、教育界も、思想を封じ込めることにひどく熱心なのである。これを明らかにすることもまた、この著者の大切な叫びなのである。




Takapan
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