本

『母は死ねない』

ホンとの本

『母は死ねない』
河合香織
筑摩書房
\1500+
2023.3.

 終始、重い。明るい気持ちで過ごしたいだけなら、読まないほうがよい。だが、母とは何か、少しでも感じたいとなれば、必ず読まねばならない。そんな本であると思う。
 取材に基づく記述である。17の事例が並べられている。文章だけである。「ちくま」という、よく大きな書店に措いてるPR誌があるが、それに1年半ほど連載されていたものを改稿したものである。
 母は死ねない。ここに集められた視点は、すべて母親である。子どもを見つめる母親である。事件に巻き込まれて、殺害された子のために、母は死ねないのだと叫ぶ壮絶な人の実例から、本書は始まる。それから、出産で生死を彷徨った人。理不尽なパートナーで苦労する人。人工授精での悩み。産まれた子どもの障害のこと。
 どれをとっても、重い。否、人生とはかくも重いものであるはずなのだ、ということに気づかされるのが正しい読み方であるのかもしれない。ママ友問題で命を失うような話もある。福岡では子どもの命を犠牲にしてしまう事件も起こっていた。よそ事ではない。そうした問題に、コメンテーターたちは、こうすればよい、ああすればよかった、などと口先で簡単に解決できるような言い方をする。それを、傍で見ている視聴者もなるほどなどと感想を述べる。いったいそのとき、当事者たちはどういう扱いを受けていることになるのだろうか。本書での取材は、月並みな言葉だが「寄り添う」という姿勢を貫く。へたに同情もしない。説教もしない。ただありのままに「傾聴」するのだ。そして、当人の置かれた情況がどういうものであったのか、読者に少しでも想像しやすいようにもちかける。
 子どもが失踪したということで悲壮な毎日を送る中、世間が誹謗中傷を繰り返してくる。こうなると、読者もその「世間」の一人であることを否応なく実感させられる。単に当人が不運であるとか、苦労しているとかいうレベルの話ではなくなってくる。障害をもつ人が出産することをネットで明かしたら、産むべきではないなどと叩かれる。その母親は、明るく振舞う。事実明るく考えているに違いない。成功とか失敗とかいう次元で考えるのではなく、未来を変えるために歩むことを知っているからであろうか。
 よく知られた事件で子どもを殺された母親の話もあり、涙を禁じ得ない。生きようともがいて這っていった我が子の辿った廊下を歩く。そこで死にたいとさえ思う。だが、彼女はそこから、グリーフケアの道を選ぶ。彼女にしかできないことが、そこにはあるはずだった。逃げた教師に対する複雑な思いもある。しかしまた、事件とは関係がなかったその妹に向けられた、世間の「お姉ちゃんの分まで頑張って」が、如何にその子を追い詰めるか、無邪気な世間は――私たちは――知らない。気がつかない。気づかずに、人をとことん痛めつけるのだ。
 グリーフケアについては、万人が認知すべきであると私は思う。私もまた、気づかないでいることが多々あるに違いない。キリスト教会の中で、自分の正義を自慢したいのか、悲しみの内にある人をズタズタに切り裂くような発言がまかり通るのを見たこともある。口先で愛だ救いだとにこにこ言うことが、偽善以外の何ものでもないことを思い知る。しかも、それは私自身を例外としないことなのだ。
 あまり幸福感を示さないような男女関係の中で、逞しく生きて子どもを育てる母親。教会は、それを不道徳呼ばわりさえするだろう。せいぜい、それを赦しても、「これからは罪を犯さないように」などと、自分が神にでもなったかのような教えを差し向ける。私はそうした偽善の塊を、本書から次々とぶつけられるような気がして、苦しかった。登場する人たちの苦しみもさることながら、その苦しみを増しているのは自分たちなのだ、自分なのだ、という責めを激しく受けるのだった。
 LGBTQ+の家族としての話もある。これはいま打破しなければならないひとつの大きなテーマでもあるだろう。かと思えば、「子どものために」という、誰もが思い浮かべがちな文句の残酷さを思い知らされるような話もあるし、自分で産むのが難しい事態に、里子を身に受けるという決断をするケースもある。どれも他人事だとは思えないとは言えないだろうか。
 ただ、母が死に、遺された子の立場から母を見つめる話もあった。子どものために苦しみ、自ら死を選んだ母を思う子が、精一杯母について語る。「母は死ねない」という、どこか不条理な、決して全体をすべて覆うとは限らないようなタイトルを冠したこの本に、なくてはならない話であったと思う。
 それは、娘としての不幸な体験から、母親との間に薄い膜がずっと残っているというレポートからも窺えた。著者ご本人のことなのだろうか。その最後には、メッセージが記されている。「あなたも不完全なままでいい、そう何度でも伝えたい。」
 母親は、「かくあるべき姿」に当てはめられるべきものではない。社会が変わらねばならない面が、確かにある。「母は、人は、弱くても、不完全でもいい」と、著者は「あとがきにかえて」で述べている。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります