本

『群衆心理』

ホンとの本

『群衆心理』
ギュスターヴ・ル・ボン
櫻井成夫訳
講談社学術文庫1092
\1000+
1993.9.

 群集心理とは異なる漢字を宛てている。本書の概念のほうが、より広く捉えているためであろう。つまり、その場に集まった群集というものでなくても、人が群れることで現れる心理というものが大きく捉えられるべきだからである。
 1895年刊の本であるが、群衆心理についての見解の嚆矢であるという。こうした分野開発の古典というものは、極力読んでおいたほうがよい、というのが私のポリシーである。というのは、その分野の源流であるために、それを基にして検討が始まり、深められていくという経緯があるのが普通なので、後の展開の要素をある意味で含んでいるとも考えられ、その問題の考察の底流を知るためにに必要だと思われるからである。
 しかし訳者のあとがきにもあるが、この著者はなんとも不思議な人であり、ル・ポンについては、その多才な著作の割にはあまり人物として分からないようだ。多才を発揮するために、まず肩書きとしては、医学者・社会学者・心理学者というものが挙げられているが、ほかにも風俗や考古学にも関心が強かったらしい。だからそのごく一部として、この心理が研究されたということであると考えられるが、それにしても、画期的であり、意義あるものとして世に受け容れられた。百年後にも十分通用するような叙述が多々あると思った。
 先に、広く捉える群衆の概念について触れたが、個人としての心理が、人が複数になり集まることによって、別種の心理が生じるという構造を、様々な角度から考えていく。実験的なものではないだろうが、著者の知恵や洞察はなかなか鋭いものであり、観察的に見出されたものと批評といったレベルではあるのだろうが、やはり傾聴に値する。当時の見解でもあるし、当時の言論的な常識の中で言われているので、根拠もなしにずけずけとひとの悪口を言っているかのように見えることも多々あるが、それでも、私などは自分の身に及びズキズキと心が痛むような思いをすることがたくさんあった。
 これは、群衆だから、ということのほかに、他人の存在の関わりということでもう少し説明できるかもしれない。見る自分が見られる自分になるとき、それまでとは違う状況に置かれた別の自我がそこにあることになるとすると、これは他者論の一つというふうに捉えることができるかもしれないということだ。人間は社会的動物だという定義がずっと呪縛のようにひとの考えに影響を与えている可能性もあるが、個と他という対立ないし関係の中で、ひとの心はそれに応じて大いに変化すると言えるのではないか。
 しかし、本当に個と他ということがひとの社会のすべてであるのか。日本文化への理解があるとき、西欧社会のように「個」という立場が実はないという前提の中では、本書の指摘から漏れているような、心理の流れというものに出会うのではないかとも思う。
 直接間接を問わず、集団で思考がつながる場面があるとき、何らかの危険があるとすると、それは民主主義というものについて再考する機会を与えてくれるのではないだろうか。また、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、リモート会議が普及していくことになったが、リモート空間でこの群衆の心理が作用することがあるのではないか、と警戒することが必要ではないか、とも思う。
 特に本書は、抽象的な自由論や存在論を用意しているというわけではなく、フランスの近代政治思想についても検討していくフランスの歴史を刻む革命の背景に在るものをずばりと指摘していく。果たしてそれが適切な洞察であるのかどうか、それはこの発案を受け継ぐ私たちの業務である。また、その心理自体が時代背景や環境により影響を受けることになるかもしれない。そうなると、これくらいの薄い本で済むはずがなく、私たちが人間とその社会を考察する上で、必要不可欠な視点を教えてくれるということになるだろう。また、政治の側の論理というものにもたくさん言及されているから、政治という場における民衆の見方というもののためにも、得るところが大いにあるのではないだろうか。
 各章はじめにはレジュメ的な話の流れが掲げられており、その中の節毎に注釈がある。注釈事項が近いというのは実は読みやすいものだ。その注釈には、訳者自身が考えて説明したものがいくつもあり、原著にはないけれども日本人に対して説明が必要と思われたり、恐らく訳者自身が難しいと調べたものが並んでいるのではないかと推測する。訳者の配慮を強く感じた。




Takapan
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