本

『グリーン・グリーン』

ホンとの本

『グリーン・グリーン』
あさのあつこ
徳間書店
\1600+
2018.9.

 読む順序が逆になってしまった。こちらが始まりであって、「新米教師二年目の試練」のほうはその続編であった。私はこの続編のほうを先に手に取ったので、こちらから読んだことになる。時折一年目のエピソードが見え隠れしていたので、その事実には気づいていたが、続編から読んでも、それはそれでひとつの完結があったので、さほど違和感は覚えなかった。
 しかし、やはりこの最初のものを読むと、いろいろ謎に思っていたことがつながったし、また厚みが増してきた。動物たちの描写は、続編のほうが細かい。そこは農業畜産について、さらに取材を重ねたのだろうかと思う。この初巻のほうは、どちらかというと園芸に傾いた内容だった。この程度の園芸知識なら、私も描けないことはないかもしれなかった。しかし畜産のほうは私には描けない。これは取材が直にどうしても必要だ。
 ぶたの201号と翠川真緑(みどりかわ・みどり)との出会いもあり、物語にちょっとした不思議な雰囲気を醸し出しつつ、物語の進行を押さえていく。ぶたと会話をするというファンタジーだが、心理学的にそれは真緑の自己投影だろう、などという無粋な分析は必要ないだろう。もうこれは、ぶたとの確かな交流である。
 そして、松田君との出会いとその展開のエピソードが、初巻のほうでより表に出て来る。生徒も一年目の一年生であり、初々しさとそこへぶつかる新米教師のぎこちなさ、また先輩教師からの圧力や指導も自然に描かれ、教師間の関係も、生徒の中のそれぞれの事情も、人間関係だけでも多岐にわたりそれが複雑に絡み合っているのだが、それを何の混乱もなくするりと描いているというのが、あさのあつこさんの力量というものだろう。  こちらにも、農業の未来についてのちょっとした主張や考えがちらりと顔を覗かせるところがあったかと思う。これは、農業関係のメディアへの連載であることからしても当然かもしれないが、農業を憂い、しかしそれを悲観せず、その良さをアピールしていくという明るい描き方をしていて、私にはそれが絶妙な味に見えた。やはりこれも作者がさすがだというところだろう。
 どうして真緑が兎鍋の山奥へ来たのか。続編でもそれなりに説明されていたが、やはりこちらのほうが自然に、しかし詳しくちゃんと読者に届くように語られている。そういうのは最初のものにはもちろん当然なのであるが、やはり複雑な関係や事情が、滞りなく述べられ、読者に呑み込ませていくわけだから、抵抗なくどんどん読めるのだった。暴力シーンも、嫌味なほどに引きずらず、心のつながりができる方向でシーンを形成していたのも、なるほどと思った。
 こうして順序を逆にして2つの続きの話を読んでしまったわけだが、これは印象としてのことに過ぎないけれども、初巻の構成や展開が、より秀逸であったような気がする。続編はどうしても、一定のものがすでにできていて敷き詰められている土壌の上に何かを建てるようなところがある。もちろんそれは当たり前なのであるが、最初のものの中にあった、非常に絡み合って難しい人間関係が、いつの間にか読んでいくことで解けていくような感覚は、続きの中では同じように記すことのできないタイプのことであったのではないかと思う。
 恋愛事例あり、自然との触れあいや自然を守り、また利用し、人々の社会に関わらせていく農業などの熱いハートがあり、山村の事情の考察あり、内容的にも盛りだくさんである。これらを妙に理解したつもりになって、説明すると、しっぺ返しをくらいそうである。
 これを踏まえて再び、二年目のほうをぱらぱらとめくると、的確に早送りするように、また一つひとつの言動の意味が、分かることだろう。やはり、順序正しく読むに越したことはない。心の中を地の文で描くのも効果的で、テンポ良く物語が流れていく。田園風景がムード的にいい、などというレベルでなく、これを機会に農業、食べること、花という命との付き合い方などへ、私たちが生活の中でその都度考えること、少なくともそこに立ち止まること、それだけでもあれば、私たちがまたこれらの物語のさらなる続編を生きることができるのかもしれない。いや、きっと、そうしなければならない。命と命のふれあいの世界のあり方を問わないといけない。




Takapan
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