『みなさん、さようなら』
久保寺健彦
幻冬舎
\1500+
2007.11.
その後文庫化しているが、ここでは単行本として読んだ。第一回パピルス新人賞を受賞した作品に加筆訂正を行ったものであるらしい。
この著者の『青少年のための小説入門』を偶々読んで、魅力を覚えたために、探して読もうと思ったのだ。
団地から一歩も出られない少年、という設定が、この物語のすべてである。この、ありえないような設定から、どんな物語が生まれるのか。読者も期待してしまうだろう。その辺りの巧さが、新人として優れていた、ということなのだろう。
例によって小説のストーリーをバラしてしまうことはしないつもりだが、見所は紹介してよいだろうか。
タイトルの「みなさん、さようなら」は、小学校の六年生107人が、年ごとに何人か団地からいなくなる、ということを意味している。それで「章」とでも言うべきものは、107人からの引き算を示して、一年目、二年目、……とカウントしてゆくことになる。そこには、ご丁寧にも一人ひとりの名前が刻まれている。果たしてすべてが創作なのか、作者の意見の中に巣くう人物名なのか、それは定かではないが、妙にリアリティを覚える。
実は、最初の1行に仕掛けがある。その意味は中盤で明らかになるから、丁寧に目を落としているとよい。
団地である。21世紀初めからずいぶんと遡っての出来事であり、後にはポケットベルも登場しているから、1969年生まれの著者の見ていたかつての時代を反映していると言えるだろう。だが一小学校の児童が全員この団地内というわけだから、大規模な団地である。そしてこの団地が、主人公のフィールドのすべてとなる。
同級生は、皆団地内に住んでいた。この「団地」は「都営」だとされている。入居するにも抽選があったようだが、ここに主人公の「おれ」は、ヒーさんと賞する母親と二人で住んでいる。この母親の人物像はちらほら出てくるが、物語の中に登場する機会は実に少ない。
おれは、中学校に行かなかった。ある意味で「ひきこもり」のようではあるが、並のそれではない。友だちとの関係は実に豊かである。ある事件によって、団地から外に出られなくなってしまったのだ。しかし物語は、そこには触れないままに展開する。
おれは、ケーキ屋に修行に出る。威勢のいい大将を師匠とし、弟子となり、ただ同然のアルバイトから始まり、結局その道でなかなかの職人に成長してゆく。が、その成長物語ではない。
おれは、極真空手を立てた大山倍達(ますたつ)を神のように慕っている。そのため、日々トレーニングを欠かさない。親指だけでの逆立ち歩行など、自分に課した修行を続けており、筋肉の鍛え方はただ者ではない。自ら団地の「パトロール」を続け、団地内の治安を守っている。
こうした伏線は当然どこかで効いてくる。その辺りも、さりげなく折り込んだエピソードが、ちゃんと回収されるので、読者としては気持ちがいい。
但し、私個人としては、この暴力性は好まない。後に執筆する『青少年のための小説入門』もそうだが、暴力的な場面が露骨に描かれており、またその暴力がどこか正当化されるような述べ方にも見えるために、抵抗があるのだ。エンターテインメントとしては上等なのであろうが、こうした点のために、本当はあまりお薦めしたいと思うタイプの小説ではない。
性的な描写もある。団地内で、女の子と関係ができるのだ。中学校に行っていないので、友だちとの関係も鍛えられておらず、どこか幼い様子が見え、ぎこちないというか、ダサいというか、途中で言われていたが、子どもっぽいところがある。それでも、それなりに愛し合っているのならば、性的な表現を私は厭う者ではない。ただ感心するのは、性的な体験をする女の子が、途中でチェンジすることだ。その内容も異なるし、「結婚」というものを意識する女性と、それがよく分からないおれとの意識のズレのようなものも、なかなかよく描かれているように感じる。分かりやすいのだ。
その恋愛に割く頁もなかなか多いが、事件は次から次に起こってくる。団地内で放火が続いたり、おれがケーキ屋を負かされたときに一緒に働くように仕向けた友だちは精神的におかしくなったりする。
毎年、何名かの同級生が、団地からいなくなる。それらは、日本における高度経済社会のときの花形だった「団地」が、寂れてゆく様を表しているものと思われる。そして、退場した友だちは、基本的に二度と戻ってこない。おれの周りから、同級生がいなくなる。だから「みなさん、さようなら」なのか、とも思うが、この言葉は、私の記憶では、99頁に一箇所しか登場しない。しかもそれは、団地を出てゆくという意味でもないし、おれのセリフでもない。実に何気ない場面で登場するのだが、案外それがよいものなのかもしれない。ほんとうの「さようなら」は、もっとしみじみと滲み出てくるものなのだ。
なお、大山倍達の死に衝撃を受ける場面がある。これは小学校卒業14年目の4月のことである。実はここから、年代ははっきりする。大山倍達の死は、1994年だからだ。そこでおれが生まれたのは、平成が始まるかどうか、という頃だと分かる。その3年前からこの団地がほぼ始まっているから、この設定は崩れまい。大山倍達は、私からすれば『空手バカ一代』というマンガでおなじみだったのだ。
最後のほうでは、ブラジル人の母をもつ少女が登場し、サッカー好きなマリアと仲良くなる。この子は小学四年生だから、もう三十歳まであと少しというおれにとっては、へたをすると娘を見るような目で見るような女の子である。このマリアもなかなか魅力的な描かれた方をしているから、お楽しみ戴くとよい。
物語は、少し淋しい幕引きをする。だが、不思議と、何か置き残したものがそこにあるかのように、読者の心が少しの重荷を覚えるような気がするのだ。ここに紹介できなかったような、様々な人との様々な体験がある。まだまだ見所は多々あるわけで、単行本で332頁まで、なかなか読ませる物語であった。
映画化もされているが、それはまだ見たことがない。

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