『猫とともに去りぬ』
ロダーリ
関口英子訳
光文社古典新訳文庫
/\533+
2006.9.
この「猫」というタイトルに惹かれて取り寄せてみた。だが、これは最初の短いお話で、あっという間に終わってしまった。その後は猫が主役になるということはなかったが、ただお話のあちこちに、猫がちらりとでも登場する頻度は、案外多かったように思う。
そう感じていたら、その猫が登場するわけが、「解説」の中に書かれてあった。驚いてしまった。父親と猫とにまつわるエピソードがあったのだ。
最初のお話は、本にタイトルになっている「猫とともに去りぬ」は、もちろん邦訳としては「風とともに去りぬ」をもじっているのだろうが、おじいちゃんが猫になるという、とんでもない展開に、ようやく本書の中にあるお話が、どういう系統のものであるかが初めて見えてきた。ピアノがどうしてカウボーイの銃となっているのか、どうして宇宙人がピサの斜塔を欲しがっていたのか、そもそも言葉が通じるのかどうか。こんなわけの分からない世界に、読者は連れて行かれる。なんで家族が皆魚になるのか。こんな不条理なことに、いちいち目くじらを立てていたら、お話はちっとも読めやしない。
そうだ。全部受け容れるのだ。私も、最初の猫の話から、ギアを切り換えた。さあ、なんでもこい。受けて立とう。すると、これはもう切り口の鋭いファンタジーに違いないということで、楽しくて仕方がなくなった。
著者は児童文学で世界的に有名なのだが、あいにく日本ではあまりその訳書が広まっておらず、こうしてじわじわと紹介され始めたので、今後もっと読まれたらよいだろうと思う。1920年に生まれ、1980年に亡くなっている。
超能力をもつ赤ちゃんが気味悪く、なんとかそれを使えないようにしよう、と躍起になる家族がいたり、人形がやたら喋ったり、その都度奇想天外な展開が待っている。登場人物たちも、そういう事態を怪しむのではなく、自然と受け容れて、真剣に戦ってみることが多い。ファンタジー的な出来事も、それが当たり前の世界を、読者の心に生み出してくれるのだ。
ところが、今回の作品は、児童文学というよりは、やはり大人のためのものらしい。そして、細々と解説はしてくれないのだが、どうやらアイロニー(皮肉)が随所にこめられているらしい。
イタリアの事情に乏しい私などは、それがどんなことを皮肉っているのか、見当もつかない。誰かが、謎解きをして紹介してくれたならば理解できるのだろうが、とんと分からない。でも、勝手に想像するならば、これはもしやこういうことを茶化しているのかしら、というように思うことも不可能ではない。きっとその想像は当たっていないだろうと思うが、大人としての読者は、そのようにして、この不条理極まりない物語の一つひとつを、面白がればよいのではないかと思う。
文庫で260頁の中に、16のお話が入っている。一つひとつはすぐに読み切れる。時間の合間にも読んで愉しめるだろう。そして、「まさかね」とでも思うより先に、思わず笑ってしまうような展開が待っている。私も電車の中で、声が出そうになった。
楽しい。そういう時を求めているのならば、太鼓判を押してお薦めすることにしよう。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド