本

『豪憲はなぜ殺されたのか』

ホンとの本

『豪憲はなぜ殺されたのか』
米山勝弘
新潮社
\1260
2006.10

 2006年5月、秋田の山村で、小学一年生の男の子が殺害された。
 前月、その2軒先の女の子が「事故死」していたこともあり、山村は異常な緊張に包まれた。地域の人々は、その女の子の死についても、女の子の母親を疑っていたが、警察はあくまで「事故死」としか考えていなかった。
 しかし、この男の子、米山豪憲君の殺害事件以来その「事故死」が再捜査され、かの母親が逮捕された。さらに後になって、あの女の子、彩香ちゃんの「事故死」も、この母親、畠山鈴香による殺害であったことが明らかになった。
 この本は、この豪憲君の父親による手記である。
 切なくて、哀しくて、子をもつ親として、苦しい気持ちで読み続けなければならなかった。と同時に、このお父さんの、的確な表現力、文章力には、尊敬の念が起こってきた。これほど冷静に――もちろん冷静でなどいられないことは承知している――文章が書けるというのは、どんなに立派な方なのだろうか、と覚えた。
 事件の半年もたたずして、これが世に出ている。驚くべきことだ。
 では、どうしてそれほど急いでこれが出されなければならなかったか。それほどにまで、このことを強く世の中に訴えなければならなかったのはなぜか。
 それは、鈴香に対する恨みつらみではない。
 これは私の感じ方なのだが、鈴香に対して、たしかに最大の憎しみをもっているのは間違いないし、端から見てもそう思う。しかし、鈴香という人物を消し去ることは、個人としてできなかったし、そのような人がこの世にいることを否定するということは、人間にはできることではない。
 ただ、仕事として、当然これだけのことをしなければならない、ということを怠った者がいれば、その点は追及できる。仕事として、当然のことをしていれば、豪憲君は命を落とすことがなかったという点が明らかであれば、この仕事の怠慢をした面々については、責任を問うことができる。まして、その仕事を怠った者が、嘘をついて責任逃れに終始し、しかも、相談してきたこの父親を冷笑するような素振りを見せたとなると――。
 この本の最終章は「共犯者」と題されている。
 さて、畠山鈴香に共犯者がいただろうか?
 著者は、共犯者が誰である、などとは記していない。そしてこの章に、警察のことしか書いていない。
 警察が、どういうものであるのか、よく明らかにされている。
 私は分かる。教育現場でも、学校という組織がこの警察にそっくりであることを、よく知っているからだ。警察も学校も、国に立場を守られた官僚である点では共通である。しかも、善良なものであり、この世の模範として掲げられている組織である。それらには、共通して、この本に書かれてあるような、一般庶民からすれば、とんでもない非常識な「常識」があるのである。
 勝弘さん、そして奥様。せめてここで、全面的に協力させてもらいます。ささやかなひとつの声に過ぎませんが、応援させてもらいます。それくらいしか、できることはありませんが……。




Takapan
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