本

『京都祇園祭』

ホンとの本

『京都祇園祭』
中田昭写真・文
京都新聞出版センター
\1680
2011.6.

 やや小さな、そして薄い本である。だが、見応えがある。これは写真集でもある。そして、解説も必要十分入っている。写真家として祇園祭を35年にわたって見つめ続けた著者だからこそ、もちろん写真はすばらしいが、文章も思いがこもっているのが分かる。淡々と綴っているようでありながら、深い関わりを匂わせることがよく伝わってくるのだ。
 祇園祭とは何か。歴史の中での紹介もあるが、関心は今私たちが出会う祇園祭である。7月に入り京都では何が行われているのか。山鉾巡行は有名だと言えるだろうか。あるいは宵山などの様子もニュースで伝わるだろうか。だがそれが祭のすべてなのではない。水面上の現れた氷河のごく一部であるようなもので、水面下にはそれを支える巨大な塊があるわけで、祇園祭にも様々な行事が隠れている。それは、博多の祇園山笠と同様である。
 私は京都にいたとき、最後に住んでいたところからは、この祇園祭の山鉾とはずいぶん近いところにいた。家から歩いて宵山散策ができたのだ。だのに、あのときにもしこの本があったら、と惜しく思う。実に簡潔で、何も詳しいと言うほどのものではないのだが、この本は祇園祭を見に行かせる魅力をもっている。そう、ここにあるよりも細かいことは、実際にその場に言って自分の目で確かめるとよいのだ。そしてそんな気にさせる本なのだ。
 ひとつひとつの行事が取り上げられる。写真と解説が入る。それから、山と鉾のひとつひとつが紹介される。写真が必要最小限で、美しい。説明の言葉もまさにその通り、必要最小限である。英文でもその紹介はあり、これは海外からの観光客にも扱えるものとなっている。
 繰り返すが、あまりに詳しく語られているとは言えない。だが不思議なもので、それで十分だという気がしてくるのだ。京都を愛している人が、京都への思いを胸に綴るとき、このようになるのかもしれない。愛するが故に、ずばりよいところを語る。しかし、あまりに冗長になっては逆効果であることを知っているために、抑えて選ばれた言葉だけを紡ぎ出す。
 さて、もはや有名な話ではあるのだが、この山鉾の中で、旧約聖書の絵が飾られているものがある。函谷鉾である。16世紀ベルギー製のタペストリーだそうだが、創世記のイサクが描かれている。リベカとの出会いの場面である。どういう経緯でここにあるのか、それはこの本には語られていない。だが調べたくなることだろう。
 いわゆる「あとのまつり」という言葉のもとになった後祭についても、著者の人生の中で起こったことだから、きちんと記されている。1965年までは行われていたのだが、その後は統合されて、花笠巡行がその代わりになされている。私もそこは詳しく理解していなかった。短い文章だから丁寧に読む気持ちにもなる。それで、情報量は多くないようでありながら、選ばれた言葉は心に深く残る。より心に刻まれるということになる。これもよいスタンスだ。大いに学びたいものだ。
 京都情緒に溢れた一冊。これを手に京の夏を歩いてみるのは如何だろうか。いや、ただ目の前で眺めているだけでもいい。京都を直に知っているならば、この本が実に奥行きが深い本であるかということが分かるだろう。上品で、はんなりしている。




Takapan
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